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2024/04/19 03:25 |
裁判員制度を考える
平成21年5月までに、裁判員制度が始まります。

「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」(以下『裁判員法』)が成立し、「成立後5年以内に施行される」という期限がありますので、一番遅くても、前記の期日までに開始されるということです。

さて私は、以前ブログ内で「裁判員制度に興味があります」という発言を行いました。
その時は「ふ~ん、裁判員制度なんて法律が成立してたんだ。どんなもんなのかな」くらいの気持・理解しかもっておらず、完全に興味本位の発言でした。

あれから、本当にちょろっとなので偉そうなことは言えないのですが、裁判員制度について一応勉強してみました。

で、今の私の中での結論ですが、「裁判員制度は絶対に認めてはならない!」、コレに尽きます。

以下に、裁判員制度の問題点をホンの一部だけ、挙げてみたいと思います。
本当に、ホンの一部ですよーーーーーッ(この量で(笑)

まず、奇しくも私自身が「裁判員法」の成立そのものを知らなかったように、この法律は一部の国民(具体的には『司法制度改革審議会』)の意見を基に、あれよあれよという間に成立してしまった国民不在の法律です。

「裁判員制度」が大きく話題になったのは、すでに裁判員法が成立してしまってからのことです。

審議会によれば、「裁判内容に健全な社会常識が反映されるようになる」とのことですが、どうもコレは、「裁判官は常識を知らない人が多いので、そんな人間に裁判を一任している今の裁判制度は間違っている」ということらしいです。

確かに、裁判の原告・被告人ともに、裁判官のようないわゆる「学歴・職業エリート」は少ないでしょうし、裁判官という職業に就いている人自体が少数なのですから、裁判官が「一般の人々」の事情に疎く、原告や被告人の心情・状況が理解できないという論旨も一理あるかもしれません。

しかし、裁判員が裁くのは、「法が定めている刑の最高が、死刑、無期懲役、無期禁固に当たる」犯罪ですから、そんな重大犯罪に対する「一般的な常識」を、裁判員が持っているとは到底考えられません。
むしろ、日々の業務の中で、これらの犯罪に常に対峙している裁判官の方が、どうみたってまともな判断を下せるはずです。

ではここで、裁判員制度がどのようなものなのか、簡単に整理してみましょう~。

まず裁判員の人数ですが、一つの事件に対して「裁判官3人、裁判員6人」の計9人で審理にあたることになります。
裁判員は、事件ごとに選ばれるのですが、担当となった事件には、最初から最後まで関わらなくてはいけません。
裁判官および裁判員は、被告人が有罪か無罪か、そして有罪の場合、その量刑はどれだけかを判断します。

ここで当然、有罪か無罪か意見の割れる場合が出てきます。
この場合、意見が一致しない場合は、何と「多数決」で決定されますΣ(゜д゜|||)
(絶対に全員一致の結論が必要である陪審制と、ココが一番違うと思われます。)

但し、被告人を有罪とする場合は最低でも、裁判官一名・裁判員一名の意見が含まれていなくてはなりません
裁判官のグループと裁判員のグループとで完全に意見が分かれてしまった場合には、上記の条件を満たしていないということで、被告人は無罪となります。
一方、被告人が有罪となる場合は、有罪の意見が過半数の5人、かつその5人の中には裁判官・裁判員の両者が含まれていなくてはならないということになります。

まあ一見すると「・・・・そんなもんか?」とも思ってしまいそうなシステムですが、仮に次のような場合を想定してみましょう。

有罪意見=裁判官一名・裁判員四名
無罪意見=裁判官二名・裁判員二名

すると、上記の条件に従えば、被告人は有罪になるわけですが、裁判と法律のプロは過半数が「無罪」だと判断しているわけですよね。
プロとアマの意見を、全く同じように扱うこの方法、どうなんでしょうか???
このパターンって(無罪と有罪が逆でも同じことですが)、いわゆる「誤審」の可能性、結構ありそうな気がしませんか・・・・?


また別の側面から、この裁判員制度の問題点を考えて見ましょう。
まず、どういう人が裁判員に選ばれるか分からないという点が挙げられます。

選考方法ってたって、結局「クジ」ですからね!Σ(゜д゜|||)
そりゃ前科があるとか、義務教育を終了していないとか、そういう欠格事由がある人は、選ばれません。
また、面接の結果、裁判長や弁護人、検察官が「外したい」と思った人も選ばれません。

でもね、原則としては、普通に社会にいる人で義務教育を終えている成人であれば、誰もが裁判員をさせられる可能性があるってことですからね・・・・。
そりゃ、裁判官もタジタジの素晴しい人もいるでしょうが、もう誰が見てもどうしようもない人が選ばれる可能性だって、同じくらい、いやむしろそれ以上にあるわけです。

そんな人に裁かれる被告人も(もとは自分が犯罪を犯したとはいえ)気の毒ですし、それが冤罪だったら、気の毒なんてレベルでは、とてもじゃないけど済ませられない話です!!ヽ(`Д´)ノ

さらに選ばれるかもしれない私たちの立場から考えてみても、事態は深刻です。

まず、何の縁もユカリもない人の人生を左右する大事件を、この手で裁かなくてはならないという精神的な負担。
現在の裁判員法では「人を裁く自信がないので裁判員をお断りします」というのは、原則的に辞退する事由にはなりません((((゜Д゜;))))

精神的負担といえばもう一つ。
評議内容などの一切を、たとえ家族といえど漏らしてはいけません。
ま、それは当たり前ですが、相談などの軽いものも当然ダメで、やってしまうと罰せられます
死ぬまで誰にも、裁判員としての活動内容を話すことはできないのですーーーーーーッ!!
(私だったら、絶対ムリ・・・(;´д⊂))

また対象は重大犯罪のみですから、凄惨な犯罪現場や死体の写真なんかを見なくてはならない羽目に陥るかもしれません。
・・・・・私だったら、一生夢に見そうな気がしますヽ(;´Д`)ノ
(ミステリ小説の挿絵すら、正視できないくらいです・・・ヽ(゜ー゜;)ノ


さらに、審理は当然平日の日中に行われますから、仕事のある人は仕事を休まなくてはなりません。
しかも審理は一度だけではありません。
現行の裁判でも、被告人が罪を認めている場合でも、平均4回の公判、事実認定を争っている場合(いわゆる否認事件)には平均で10回の公判が行われています。

公判の期間は短縮されるでしょうが(それはそれでまた、手抜き審理を招くと考えられるので決していいことではないのですが)、それでも裁判員は5~6回は平均して裁判所に出向かなくてはならないと考えられます。

そして恐ろしいことに、裁判員制度のもとでは、飛び飛びの期日の公判では裁判員が審理内容を忘れてしまう恐れがあるため、集中的に1~2週間の間に審理が行われると考えられていますので、その間の平日は全て潰れてしまうわけです。

フツーの一般市民に、仕事をうっちゃって一週間も二週間も他人の裁判に時間を割かせることが、現実的じゃないってことくらい、誰でも分かりそうなものですが・・・・・ヽ(`Д´)ノ

ちなみに、「仕事が忙しい」というのは、辞退事由としては認められてないんですよ~、コレが((((゜Д゜;))))

日当は上限が一万円
拘束時間によって減る場合があるそうです。(オイッヽ(`Д´)ノ

無職の人やフリーターにはいい稼ぎですが(笑)
(アメリカなどの陪審制をとっている国では、陪審員になるのは実際そのような人の比率が高いようです・・・・)

裁判員になると、長期にわたって会社を休まざるを得なかったりするのですが、会社はそれを理由としてその人を解雇できない、というのは法で定められています。
ただ、その休んでいる期間に閑職に回されちゃったりしても、その辺のフォローは皆無らしいですよ・・・・?
あぁ恐ろしいッ((((゜Д゜;))))


ということで、裁判の公正さや被告人にとっての有益性が危うくなるのはもちろん、裁判員に選ばれることによって、私たち一般国民も不利益を被ってしまうことが、お分かりいただけたかと思います。


何のために裁判員制度を取り入れたいのか、納得できる根拠が私には見えてきませんでした
海外では陪審制や参審制を取り入れている国があるから、日本でもやろうってな短絡的な決断だったとしか思えません。

一応、裁判員制度の啓蒙活動を行っている「最高裁判所」のHPのリンクを貼っておきます。
http://www.saibanin.courts.go.jp/

でもね、裁判官の人たちも、本音では裁判員制度に反対らしいですよ?
そりゃそうだろうと私も思います(´Д`;)ヾ


ちなみに日本の裁判員制度は、フランスなどで行われている参審制にかなり近いものです。

一方アメリカなどで行われている陪審制は、陪審員が決めるのは有罪か無罪かのみで、その理由もいりません。
従って、被告人が自白している場合は、その時点で有罪とみなされ、有罪か無罪かを争う必要がないので、陪審員は招集されず、裁判官による量刑判断のみが行われます。

有罪か無罪かは、事実認定によってではなく、弁護士・検察官のどちらが有能であったかというような陪審員の心証や直感で判断されることが多くなるので、誤審・冤罪が非常に多いといわれています
(しかも、市民の判断は正しいという前提に立った制度なので、一審で出た有罪・無罪の判決は、それを不服として申したてることは出来ませんッΣ(゜д゜|||))

しかしいずれにしても、歴史・伝統と国民の理解のうえに成立している制度ですから、日本の裁判員制度のように、その必要性の感じられないものではありません。



なお、今日の記事は、上記リンクHPの他、
『狂った裁判官』 井上薫著 (幻冬社新書)
『裁判員制度の正体』 西野喜一著 (講談社現代新書)
などを読んだ上での感想です。

特に後者は、様々な角度から裁判員制度を批判しているので、大変面白かったです。
私の意見も、この本によるところが大きいです。
 
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2007/09/06 01:59 | Comments(0) | TrackBack() |

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