ホンとに、最近ヒマです。
切実です。
ぐうたらしちゃってます・・・・・_| ̄|〇
しかし、これもまあ、散々読まずに積み上げていた本を片っ端から読む機会なのかと発想を転換し、読書に没頭することにしました。
・・・・なんて言っても、本屋に行くたびに新しい本を買ってしまうので、実は積読を片付けているわけではないのですが(笑)
今回はノンフィクションは一冊のみ、あとは評論とか書評です。
(しかも、一日で読んだ本・・・・本当にこう書いてみると自分がどれだけヒマなのかを実感します(涙))
一冊目。
『天切り松 闇がたり 第四巻 昭和侠盗伝』 浅田次郎著 (集英社文庫)
私は浅田次郎氏の著作を結構読んでいると思うのですが、で、こんなに外れの少ない作家さんも珍しいと思うのですが、中でも一番すきなのが、この「天切り松」シリーズです。
大正・昭和の時代に活躍した「目細の安」一家のエピソードを、老齢になった一家ただ一人の生き残り「天切り松」が、闇がたりで聞かせます。
「目細の安」一家は、親分の「目細の安」以下、「説教寅」、「黄不動の栄治」、「振袖おこん」、「書生常」、そして語り手である「天切り松」の六名。
この一家、実はいわゆる犯罪者集団でして、安とおこんはスリの名人、寅は入った先で説教をかます説教強盗、常は天才的な詐欺師で、栄治は「天切り」といわれる、屋根瓦を外して忍び込む夜盗、松はその弟子になります。
しかし彼らは、まさに「弱気を助け、強気を挫く」義賊集団で、生活に困っている人々には、ポンと大枚をはたくこともしばしば。
時には国家や大組織を相手に、胸の空くような仕事もします。
それが一銭にもならない仕事であっても、彼らは「職人」としての誇りを胸に、貧しい人々のために一肌も二肌も脱いでくれるのです。
さて「闇がたり」とは、盗人だけが使える特殊な話し方のこと。
六尺四方にしか聞こえない、闇の中で仲間同士が話をするときに用いる話法です。
老齢になり、警察では警視総監にも顔の利くほどのVIPである松は、拘置所などに出没しては、時には自ら、時には請われて一家の昔話を語ります。
その際使われるのが「闇がたり」。
松は大体において、拘置されている被告人相手に語るのですが、松の話の面白さは拘置所の所長以下、職員全員が知るところ。
声の聞こえる六尺四方内に陣取ろうと、押し合いへしあいの大騒ぎ。
そんな毎回のお約束も微笑ましいのですが、彼らや私たち読者を惹きつけるのは、何と言っても松の「江戸弁」の美しさ。
今では「標準語」に取って代わられてしまった、絶滅間近の江戸弁。
このべらんめぇ調で啖呵を切る一家のかっこよさは半端じゃありません。
大正時代の古き良き日本の姿と、涙あり笑いありの人間模様。
一度読めば、虜になること間違いなし!
このシリーズは、作者のライフワークとしてまだまだ続く予定だとか。
嬉しい限りです。
二冊目は『オタク学入門』 岡田斗司夫著 (新潮文庫)。
コレは十年以上前に刊行されたものの再録ですが、今読んでも面白い。
「オタクとは何か?」について、真摯で詳細な考察が述べられていて、思わず頷いてしまうところも多々あります。
岡田氏によれば、オタクには「粋の眼」「匠の眼」「通の眼」が必要だとのこと。
「粋の眼」とは、自分独自の視点で作品中の美を発見し、作者の成長を見守り、楽しむ視点だそうです。
例に挙げられているのは、『ブレードランナー』。
監督のリドリー・スコットは、スモークやら光やらを多用するのですが、それが幻想的な美しさや恐怖を演出するツールになっています。
それが『ブレードランナー』の近未来的なイメージを見事に構築しているわけです。
しかし次作の『ブラックレイン』でも、同様のスタイルがとられます。
グリコの看板が雨の中に毒々しく光っている、そんなシーンを見てオタクたちは驚愕したそうです。
「アメリカの都市とは違ってダサいと思っていた大阪がカッコイイ未来都市OSAKAになっている!!」と。
つまり、オタクたちはリドリー・スコット監督が、そこにどのような演出効果を込めてスモークや光を一生懸命焚いているのかを身をもって知らされたわけです(笑)
アメリカの都市がもともとカッコよかったわけじゃない、演出の成せる業だったのだ、と。
そこでオタクたちは、スコット監督の作品を次からはこのような眼でみることになります。
「次はどこを光らせるんだ?」「何を煙らせるんだ?」「そうするとどのように見えるんだ?」と。
岡田氏は、この視点を「画家の画風を楽しむのと同じ態度」と評しています。
その作家のそれまでの作品を理解し、傾向の変化を楽しみ、また他の作家にどのような影響を与えたか、美術史の中でどのような意味を持つのか、といった点を楽しむ視点と、オタクの作品の見方が同じだというのです。
二つ目の「匠の眼」は、作品を論理的に分析し、構造を見抜く科学者の視点のこと。
同じく『ブレードランナー』では、時計を片手に鑑賞。
ハリウッド映画は、時間の経過と展開が密接に結びついていて、二時間の映画だと次のように展開が設定されているそうです。
30分目:主人公に「動機付け」が与えられる。
60分目:一応事件は一段落するが、主人公は納得していない。
90分目:主人公は状況から逃げるのをやめて、解決へと向かう。
また重要なシーンは、観客を飽きさせないように15分・30分という位置に配置されているとか。
このタイムスケジュールに沿ってシナリオを把握すると、監督の大事だと考えるシーンがどれなのかも一目瞭然、自動的に何を言いたい映画なのかも簡単に把握でき、それがどのくらい成功したかも評価できるようになるそうです。
またSFXについても、それをどのように撮影するのか理解していれば、どれだけの時間と手間がかけられているのかも理解でき、製作者の拘りも見えてくる。
表面的な画面の美しさだけではなく、そのシーンにかけられた情熱を感じるからこそ、オタクたちは普通の人なら「キレイね」で済ませてしまうシーンや、下手すればスルーされてしまうシーンにも、並々ならぬ入れ込み具合と有り難味を感じるのだそうです。
最後の「通の眼」は、作品の中に垣間見える、作者の事情や作品のディテールを見抜く眼。
同じく『ブレードランナー』から説明されています。
オタクたちは前知識として、この映画が貧乏映画だと知っています。
飛行シーンで背景のビル群を、360度のパノラマで見せたい。
しかし、そんなセットを作る予算はない。
すると、東で使ったビルを北でも南でも使うことになります。
一応、レゴのように組み立て式のビルになっているので、パッと見は違う形のものが作れるようにはなっていたのですが、オタクたちは見逃しません(笑)
よく見ると、窓の並びが同じパターンになっているビルが幾つも見受けられます。
「あ、さっきのと同じビルのヤツだ!あれはさっきのビルでは上のほうにあったヤツだ」と、オタクたちはチェックします。
これら三つの眼が、オタクの特徴的な視点だそうです。
普通の人が「面白かった」「つまらなかった」と感想を抱くのとは、全く別の次元で作品を鑑賞しているわけです。
一言で言えば「瑣末なことに拘る」ということなのかもしれませんが、一つの作品を楽しみつくす、という姿勢はなかなか面白いと思います。
私は自分がオタクだという自覚を持っているわけですが、この本を読むと、「私のオタク度もまだまだだな・・・」と実感させられました(笑)
上に挙げたのは、この本の本の一部でして、他にも興味深い考察やエピソードがてんこ盛りですので、興味のある方は是非一読をお勧めします。
なんか、二冊でこんな長文になってしまいました・・・・。
他の本は次回に回したいと思いますΣ(゜д゜|||)
切実です。
ぐうたらしちゃってます・・・・・_| ̄|〇
しかし、これもまあ、散々読まずに積み上げていた本を片っ端から読む機会なのかと発想を転換し、読書に没頭することにしました。
・・・・なんて言っても、本屋に行くたびに新しい本を買ってしまうので、実は積読を片付けているわけではないのですが(笑)
今回は
(しかも、一日で読んだ本・・・・本当にこう書いてみると自分がどれだけヒマなのかを実感します(涙))
一冊目。
『天切り松 闇がたり 第四巻 昭和侠盗伝』 浅田次郎著 (集英社文庫)
私は浅田次郎氏の著作を結構読んでいると思うのですが、で、こんなに外れの少ない作家さんも珍しいと思うのですが、中でも一番すきなのが、この「天切り松」シリーズです。
大正・昭和の時代に活躍した「目細の安」一家のエピソードを、老齢になった一家ただ一人の生き残り「天切り松」が、闇がたりで聞かせます。
「目細の安」一家は、親分の「目細の安」以下、「説教寅」、「黄不動の栄治」、「振袖おこん」、「書生常」、そして語り手である「天切り松」の六名。
この一家、実はいわゆる犯罪者集団でして、安とおこんはスリの名人、寅は入った先で説教をかます説教強盗、常は天才的な詐欺師で、栄治は「天切り」といわれる、屋根瓦を外して忍び込む夜盗、松はその弟子になります。
しかし彼らは、まさに「弱気を助け、強気を挫く」義賊集団で、生活に困っている人々には、ポンと大枚をはたくこともしばしば。
時には国家や大組織を相手に、胸の空くような仕事もします。
それが一銭にもならない仕事であっても、彼らは「職人」としての誇りを胸に、貧しい人々のために一肌も二肌も脱いでくれるのです。
さて「闇がたり」とは、盗人だけが使える特殊な話し方のこと。
六尺四方にしか聞こえない、闇の中で仲間同士が話をするときに用いる話法です。
老齢になり、警察では警視総監にも顔の利くほどのVIPである松は、拘置所などに出没しては、時には自ら、時には請われて一家の昔話を語ります。
その際使われるのが「闇がたり」。
松は大体において、拘置されている被告人相手に語るのですが、松の話の面白さは拘置所の所長以下、職員全員が知るところ。
声の聞こえる六尺四方内に陣取ろうと、押し合いへしあいの大騒ぎ。
そんな毎回のお約束も微笑ましいのですが、彼らや私たち読者を惹きつけるのは、何と言っても松の「江戸弁」の美しさ。
今では「標準語」に取って代わられてしまった、絶滅間近の江戸弁。
このべらんめぇ調で啖呵を切る一家のかっこよさは半端じゃありません。
大正時代の古き良き日本の姿と、涙あり笑いありの人間模様。
一度読めば、虜になること間違いなし!
このシリーズは、作者のライフワークとしてまだまだ続く予定だとか。
嬉しい限りです。
二冊目は『オタク学入門』 岡田斗司夫著 (新潮文庫)。
コレは十年以上前に刊行されたものの再録ですが、今読んでも面白い。
「オタクとは何か?」について、真摯で詳細な考察が述べられていて、思わず頷いてしまうところも多々あります。
岡田氏によれば、オタクには「粋の眼」「匠の眼」「通の眼」が必要だとのこと。
「粋の眼」とは、自分独自の視点で作品中の美を発見し、作者の成長を見守り、楽しむ視点だそうです。
例に挙げられているのは、『ブレードランナー』。
監督のリドリー・スコットは、スモークやら光やらを多用するのですが、それが幻想的な美しさや恐怖を演出するツールになっています。
それが『ブレードランナー』の近未来的なイメージを見事に構築しているわけです。
しかし次作の『ブラックレイン』でも、同様のスタイルがとられます。
グリコの看板が雨の中に毒々しく光っている、そんなシーンを見てオタクたちは驚愕したそうです。
「アメリカの都市とは違ってダサいと思っていた大阪がカッコイイ未来都市OSAKAになっている!!」と。
つまり、オタクたちはリドリー・スコット監督が、そこにどのような演出効果を込めてスモークや光を一生懸命焚いているのかを身をもって知らされたわけです(笑)
アメリカの都市がもともとカッコよかったわけじゃない、演出の成せる業だったのだ、と。
そこでオタクたちは、スコット監督の作品を次からはこのような眼でみることになります。
「次はどこを光らせるんだ?」「何を煙らせるんだ?」「そうするとどのように見えるんだ?」と。
岡田氏は、この視点を「画家の画風を楽しむのと同じ態度」と評しています。
その作家のそれまでの作品を理解し、傾向の変化を楽しみ、また他の作家にどのような影響を与えたか、美術史の中でどのような意味を持つのか、といった点を楽しむ視点と、オタクの作品の見方が同じだというのです。
二つ目の「匠の眼」は、作品を論理的に分析し、構造を見抜く科学者の視点のこと。
同じく『ブレードランナー』では、時計を片手に鑑賞。
ハリウッド映画は、時間の経過と展開が密接に結びついていて、二時間の映画だと次のように展開が設定されているそうです。
30分目:主人公に「動機付け」が与えられる。
60分目:一応事件は一段落するが、主人公は納得していない。
90分目:主人公は状況から逃げるのをやめて、解決へと向かう。
また重要なシーンは、観客を飽きさせないように15分・30分という位置に配置されているとか。
このタイムスケジュールに沿ってシナリオを把握すると、監督の大事だと考えるシーンがどれなのかも一目瞭然、自動的に何を言いたい映画なのかも簡単に把握でき、それがどのくらい成功したかも評価できるようになるそうです。
またSFXについても、それをどのように撮影するのか理解していれば、どれだけの時間と手間がかけられているのかも理解でき、製作者の拘りも見えてくる。
表面的な画面の美しさだけではなく、そのシーンにかけられた情熱を感じるからこそ、オタクたちは普通の人なら「キレイね」で済ませてしまうシーンや、下手すればスルーされてしまうシーンにも、並々ならぬ入れ込み具合と有り難味を感じるのだそうです。
最後の「通の眼」は、作品の中に垣間見える、作者の事情や作品のディテールを見抜く眼。
同じく『ブレードランナー』から説明されています。
オタクたちは前知識として、この映画が貧乏映画だと知っています。
飛行シーンで背景のビル群を、360度のパノラマで見せたい。
しかし、そんなセットを作る予算はない。
すると、東で使ったビルを北でも南でも使うことになります。
一応、レゴのように組み立て式のビルになっているので、パッと見は違う形のものが作れるようにはなっていたのですが、オタクたちは見逃しません(笑)
よく見ると、窓の並びが同じパターンになっているビルが幾つも見受けられます。
「あ、さっきのと同じビルのヤツだ!あれはさっきのビルでは上のほうにあったヤツだ」と、オタクたちはチェックします。
これら三つの眼が、オタクの特徴的な視点だそうです。
普通の人が「面白かった」「つまらなかった」と感想を抱くのとは、全く別の次元で作品を鑑賞しているわけです。
一言で言えば「瑣末なことに拘る」ということなのかもしれませんが、一つの作品を楽しみつくす、という姿勢はなかなか面白いと思います。
私は自分がオタクだという自覚を持っているわけですが、この本を読むと、「私のオタク度もまだまだだな・・・」と実感させられました(笑)
上に挙げたのは、この本の本の一部でして、他にも興味深い考察やエピソードがてんこ盛りですので、興味のある方は是非一読をお勧めします。
なんか、二冊でこんな長文になってしまいました・・・・。
他の本は次回に回したいと思いますΣ(゜д゜|||)
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