明日から五日間、日本最大の湖の近くに軟禁です・・・(TεT;)
いえ、もちろん仕事ですが(笑)
軟禁といっているのは、いわゆる合宿特訓というモノなのですが、何とも大変なことになってしまいましたΣ(゜д゜|||)
全く業務とは関係ないのですが(笑)
ま、合宿に使用するような施設の食事って、あまり期待しちゃいけないのがお約束じゃないですか。
今回の会場は、私は初めてのところなのですが、以前行かれた方からも、特に食事がマトモなどという情報はございませんで・・・。
つまり、腹が膨れれば御の字レベルということですな、恐らく。
で、以前ここでも登場していただいた社長に、「食事が楽しみなのに、楽しみにならないんですよ・・・_| ̄|○」と、ちょこっと愚痴ってたんですね(笑)
ちょうどその時、社長と一緒に、これまたお世話になっている和食店の店長さんもいまして。
「店長、作りに来てくださいよ(笑)」
なんて冗談を飛ばしていたら。
社長が一言。
「それだッ!!!」
私:「え?何がですか?」
社長:「罰ゲームや」
実は社長の周辺で漢字ブームが起こっていまして。
社長の依頼で私が漢字テストを作成して、その和食店のスタッフの人たちに解いてもらうということをしてるんです。
で、規定の及第点に達しなかった人は、問答無用で罰ゲームと(笑)
ただ今まで、その罰ゲームを何にするかが、全く決まっていなかったんです。
だからこの時、社長は丁度、罰ゲームを何にするか考えていらっしゃったんですね。
そんなタイミングでの私の「来て下さい」発言・・・(汗)
もしや、大失言だったのでは・・・(;゜д゜)
・・・何かが起こりそうな雰囲気が充満しています。
社長:「罰ゲーム決定や!」
果たしてそれはいかなるものなのでしょう・・・・???
ちょっと冷や汗を感じつつ、社長の次の言葉を待ちます。
社長:「料理長に日持ちのするおかずを作ってもらって、センセのとこまで、Mに自転車で出前させよう!!!」
・・・・・・・・・・・ええええええぇぇぇぇぇぇぇッΣ(゜д゜|||)
新地から琵琶湖までですか???????
かなりあるのでは・・・・・・ヽ(゜ー゜;)ノ
いや、間違いなく相当の距離ですって・・・・。
私:「いやいやいやいやいやいや・・・・・。そんなM君にも悪いですし・・・・ははは。冗談ですよね????」
当然ですが、かなりビビリまくってました、私。
社長:「本気やで? 日曜に行かせるわ。おし、店長。本屋まで地図見にいこ! センセ(私のことです)は、明日にでも場所ちゃんと教えてな」
そして社長と店長は去っていきました・・・・・(笑)
これが昨日の出来事です。
さて、今日になって、「一体どうなったんだ・・・・」と思っていますと。
スパのマスターから電話がありました。
マスター:「社長が、場所を店に電話して教えたってくれって言ってはるから、電話したってくれる?何か、明日の土曜になったみたいやね~」
や、やっぱり社長は本気だったんですね・・・・・・・・_| ̄|○
お店に電話をし、場所と会社の名称をお伝えした後、M君の様子を聞いてみました。
すると、
料理長:「何か、明日のことで頭が一杯一杯みたいで、大人しいですわ・・・・(笑)」
あはははは・・・・そりゃそうですよねぇ・・・・・(汗)
料理長:「一応6時間見てますんで。到着は2時位でいいんですよね?」
私:「・・・・・やっぱ電車じゃ行かせてもらえなかったみたいですね(;゜д゜)」
料理長:「いや、あんな罰ゲーム、やっぱりセンセはどSですねえ(爆)」
いやいやいやいや社長ですからッ!!!!!
最近、お店のスタッフの皆様からは、不本意にも「どS」だと思われている私。
漢字テストの出題が、どうもイヤらしいところを衝いていたらしく、そんなありがたくないキャラにされてしまっているのです・・・・_| ̄|○
だからって私は、新地から琵琶湖まで自転車で行け!なんてこと言いませんッ!!!
Sだなんて誤解なのにぃぃぃぃッ(涙)
私としては、美味しい差し入れをいただけるので(もちろん講師・スタッフの人数分持ってきてくださるんですよ~・・・重いだろうな(;´д⊂))、嬉しいのはもちろんなのですが。
目下の心配は。
M君、お願いだから行き倒れたりしないでね・・・・・。
明日も暑いみたいだから心配だヽ(;´Д`)ノ
一応、私宛に差し入れが届きます、と会社にいた人には報告したのですが。
そして、誰もが知るその店名に、聞いた皆さんは「おぉぉぉぉ\(^-^)/」と大喜びしてたのですが。
・・・・・無事に届くかわかりません(笑)
お茶と強力冷感ジェル(塗るだけで涼めるのです(笑))を用意して待ってます(*'-')
いえ、もちろん仕事ですが(笑)
軟禁といっているのは、いわゆる合宿特訓というモノなのですが、何とも大変なことになってしまいましたΣ(゜д゜|||)
全く業務とは関係ないのですが(笑)
ま、合宿に使用するような施設の食事って、あまり期待しちゃいけないのがお約束じゃないですか。
今回の会場は、私は初めてのところなのですが、以前行かれた方からも、特に食事がマトモなどという情報はございませんで・・・。
つまり、腹が膨れれば御の字レベルということですな、恐らく。
で、以前ここでも登場していただいた社長に、「食事が楽しみなのに、楽しみにならないんですよ・・・_| ̄|○」と、ちょこっと愚痴ってたんですね(笑)
ちょうどその時、社長と一緒に、これまたお世話になっている和食店の店長さんもいまして。
「店長、作りに来てくださいよ(笑)」
なんて冗談を飛ばしていたら。
社長が一言。
「それだッ!!!」
私:「え?何がですか?」
社長:「罰ゲームや」
実は社長の周辺で漢字ブームが起こっていまして。
社長の依頼で私が漢字テストを作成して、その和食店のスタッフの人たちに解いてもらうということをしてるんです。
で、規定の及第点に達しなかった人は、問答無用で罰ゲームと(笑)
ただ今まで、その罰ゲームを何にするかが、全く決まっていなかったんです。
だからこの時、社長は丁度、罰ゲームを何にするか考えていらっしゃったんですね。
そんなタイミングでの私の「来て下さい」発言・・・(汗)
もしや、大失言だったのでは・・・(;゜д゜)
・・・何かが起こりそうな雰囲気が充満しています。
社長:「罰ゲーム決定や!」
果たしてそれはいかなるものなのでしょう・・・・???
ちょっと冷や汗を感じつつ、社長の次の言葉を待ちます。
社長:「料理長に日持ちのするおかずを作ってもらって、センセのとこまで、Mに自転車で出前させよう!!!」
・・・・・・・・・・・ええええええぇぇぇぇぇぇぇッΣ(゜д゜|||)
新地から琵琶湖までですか???????
かなりあるのでは・・・・・・ヽ(゜ー゜;)ノ
いや、間違いなく相当の距離ですって・・・・。
私:「いやいやいやいやいやいや・・・・・。そんなM君にも悪いですし・・・・ははは。冗談ですよね????」
当然ですが、かなりビビリまくってました、私。
社長:「本気やで? 日曜に行かせるわ。おし、店長。本屋まで地図見にいこ! センセ(私のことです)は、明日にでも場所ちゃんと教えてな」
そして社長と店長は去っていきました・・・・・(笑)
これが昨日の出来事です。
さて、今日になって、「一体どうなったんだ・・・・」と思っていますと。
スパのマスターから電話がありました。
マスター:「社長が、場所を店に電話して教えたってくれって言ってはるから、電話したってくれる?何か、明日の土曜になったみたいやね~」
や、やっぱり社長は本気だったんですね・・・・・・・・_| ̄|○
お店に電話をし、場所と会社の名称をお伝えした後、M君の様子を聞いてみました。
すると、
料理長:「何か、明日のことで頭が一杯一杯みたいで、大人しいですわ・・・・(笑)」
あはははは・・・・そりゃそうですよねぇ・・・・・(汗)
料理長:「一応6時間見てますんで。到着は2時位でいいんですよね?」
私:「・・・・・やっぱ電車じゃ行かせてもらえなかったみたいですね(;゜д゜)」
料理長:「いや、あんな罰ゲーム、やっぱりセンセはどSですねえ(爆)」
いやいやいやいや社長ですからッ!!!!!
最近、お店のスタッフの皆様からは、不本意にも「どS」だと思われている私。
漢字テストの出題が、どうもイヤらしいところを衝いていたらしく、そんなありがたくないキャラにされてしまっているのです・・・・_| ̄|○
だからって私は、新地から琵琶湖まで自転車で行け!なんてこと言いませんッ!!!
Sだなんて誤解なのにぃぃぃぃッ(涙)
私としては、美味しい差し入れをいただけるので(もちろん講師・スタッフの人数分持ってきてくださるんですよ~・・・重いだろうな(;´д⊂))、嬉しいのはもちろんなのですが。
目下の心配は。
M君、お願いだから行き倒れたりしないでね・・・・・。
明日も暑いみたいだから心配だヽ(;´Д`)ノ
一応、私宛に差し入れが届きます、と会社にいた人には報告したのですが。
そして、誰もが知るその店名に、聞いた皆さんは「おぉぉぉぉ\(^-^)/」と大喜びしてたのですが。
・・・・・無事に届くかわかりません(笑)
お茶と強力冷感ジェル(塗るだけで涼めるのです(笑))を用意して待ってます(*'-')
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我ながら呆れたことに、『ピアノの森』の原作コミックを、もう十巻まで読んでしまいました・・・( ̄Д ̄;)
本当は最新刊の14巻まで読んでから、記事にしようかと思っていたのですが、映画化されたのは6巻の最初まででしたので、映画化された内容に関する記事への補足なども含め、感想なぞ綴ってみたいと思います。
前回、映画に関して「突っ込みどころはたくさんありましたが」という旨のことを書きましたが、そのうちの何点かは、原作ではキチンと説明されているものでした。
まあ、リアリティを重視したいという方には、ちょっと納得のいかない説明もあるかとは思いますが・・・(笑)
例えば「海にしか弾けないピアノ」というのは。
森のピアノを、海は三歳から毎朝毎晩弾き続けていた(ここまでは映画でも使われていた説明ですが)。
→タダでさえ鍵盤の仕様が重い上に、実は森のピアノは、日々壊れつつあった。だから出なくなっていく音を消してしまわないようにするため、逆に海の指は自然と鍛えられたので、彼にしか音を出すことが出来なくなってしまっていた。
ゆえに「ショパンだけが弾けない」というのは。
ショパンは柔軟性なども必要で、指の力だけでは弾けない(ここまでは映画中でも音楽教師の阿字野のセリフにありました)。
→つまり、弾きこなすのにそもそも強い力を必要とする森のピアノでは、ショパンを弾くということ自体が無理だった。
→しかも、海にとってショパンとの出会いは特別なものだったので、その伏線でもあった。
他にも、実はピアノは雨ざらしではなく、雨が降ったときには、海がちゃんとカバーを掛けにいっていたとか、細かい説明は色々ありました。
まあ、原作の全ての要素を映画に入れ込むわけにはいかないので、取捨選択は必要ですしね。
ただ、もうちょっと「ショパンだけが・・・」のセリフには、分かりやすい説明を入れて欲しかったかなぁ。
今思えば、映画の中でもそれなりに伏線は張られていたように思うのですが、原作を読まなかったら、それが伏線であったことにも気付かないままでした(´Д`;)ヾ
で、映画は浦沢直樹氏が描くようなキャラクターだと思ったのですが(笑)、原作はもうちょっと素朴な感じというか、線の太い感じというか、いずれにせよ、浦沢氏の画風とは全く違いました(汗)
他にも、原作は青年誌に連載されているので、結構どギツイところもあるのですが(海の住むところが、周辺住民からは避けられているような、いわゆる色街であるとか。映画ではそこまでロコツではなかったです)、映画は子供の鑑賞を意識してか、かなり健全な内容になっていたんだなあという点も、新しい発見でした。
ですが、筋自体は原作にかなり忠実な映画だったと思います。
確かに、海のピアノと生活環境って、かなり関係が深いので、端折ることによって話が薄くなる部分はあるんですけど。
まあ、映画で扱っているストーリーの範囲内では、なくても影響はなかったですし。
しかもマンガではつけられない「音」を、あれだけ高いレベルで示しているという点だけでも、映画化した意義は十分あったんじゃないかな、と。
で、再び原作の話なのですが、連載当初から、結構先の話を想定して描かれていたのかな、と思える計算された展開で、先に映画の方に入れ込んでしまった私のような人間も、素直に面白いと思えるものでした。
というか、かなりハマッたというのが正確だと思います( ̄ー ̄)
もちろん映画のイメージが崩れるということもなかったですし、むしろ話の密度自体は、どうしたって原作の方が上ですからね。
クラシック音楽を題材にしたマンガといえば、何といっても『のだめカンタービレ』でしょうし、私も大好きな作品ですが、『のだめ』が完全に音楽を中心とした構成で、演奏や解釈、作画に関しても相当のリアリティを追求しているのに対して、『ピアノの森』ではクラシックに対してそこまでの厳密な描写はされていません。
クラシックの専門家からは、恐らく「描写が感覚的で、客観的・理論的な根拠に乏しい」なんていうような評価がされてしまうこともあるんじゃないかと想像できます。
が、『ピアノの森』は、海と修平の成長譚であるという点に重点があるように思いますし、だからといって舞台装置がピアノ以外のものに置き換えられるのか、といえばそれはやはりピアノであるからこそ意味があるとも思います。
なので、これは私の憶測で、調べたわけではありませんが、多分『ピアノの森』は『のだめ』ほどクラシックの専門家からは評価されていないのでは?と思われます。
が、「現実にどれだけ忠実か」という点で作品の価値が決まるわけではありませんし、現に『のだめ』だってリアリティの部分だけが評価されている作品ではありません。
もし、クラシックを題材としているとは言っても、そんな厳密じゃないって聞いたし・・・というような理由で、『ピアノの森』を手にすることをためらっている方がいらっしゃいましたら、是非とも「クラシックのことを描いたマンガだ」という視点を捨てて、「ピアノの出てくるマンガだ」位の気持で読まれることをオススメしますよッ(*´▽`*)
読む機会があるのに、もしくは読んでみようかなという気持があるのに、手を出しかねているというのであれば、それはとても勿体無いことだと思います~。
さて、明日の時点で、『ピアノの森』が14巻まで揃ってしまっていることは疑いありません・・・((((゜Д゜;))))
でも、これだけ一気に読んじゃうと、今度は続きが発売されるまでの間が悶々として辛いんですよね・・・(;´д⊂)
あぁ、それにしても11巻以降が気になります。
何で一緒に買わなかったのか・・・・_| ̄|○
・・・って、いや、さすがに持って帰るのが重いからなんですけどね。
いい年こいて子供みたいですが、読むことの出来る続きがあると思うと、気になって眠れません・・・ヽ(;´Д`)ノ
本当は最新刊の14巻まで読んでから、記事にしようかと思っていたのですが、映画化されたのは6巻の最初まででしたので、映画化された内容に関する記事への補足なども含め、感想なぞ綴ってみたいと思います。
前回、映画に関して「突っ込みどころはたくさんありましたが」という旨のことを書きましたが、そのうちの何点かは、原作ではキチンと説明されているものでした。
まあ、リアリティを重視したいという方には、ちょっと納得のいかない説明もあるかとは思いますが・・・(笑)
例えば「海にしか弾けないピアノ」というのは。
森のピアノを、海は三歳から毎朝毎晩弾き続けていた(ここまでは映画でも使われていた説明ですが)。
→タダでさえ鍵盤の仕様が重い上に、実は森のピアノは、日々壊れつつあった。だから出なくなっていく音を消してしまわないようにするため、逆に海の指は自然と鍛えられたので、彼にしか音を出すことが出来なくなってしまっていた。
ゆえに「ショパンだけが弾けない」というのは。
ショパンは柔軟性なども必要で、指の力だけでは弾けない(ここまでは映画中でも音楽教師の阿字野のセリフにありました)。
→つまり、弾きこなすのにそもそも強い力を必要とする森のピアノでは、ショパンを弾くということ自体が無理だった。
→しかも、海にとってショパンとの出会いは特別なものだったので、その伏線でもあった。
他にも、実はピアノは雨ざらしではなく、雨が降ったときには、海がちゃんとカバーを掛けにいっていたとか、細かい説明は色々ありました。
まあ、原作の全ての要素を映画に入れ込むわけにはいかないので、取捨選択は必要ですしね。
ただ、もうちょっと「ショパンだけが・・・」のセリフには、分かりやすい説明を入れて欲しかったかなぁ。
今思えば、映画の中でもそれなりに伏線は張られていたように思うのですが、原作を読まなかったら、それが伏線であったことにも気付かないままでした(´Д`;)ヾ
で、映画は浦沢直樹氏が描くようなキャラクターだと思ったのですが(笑)、原作はもうちょっと素朴な感じというか、線の太い感じというか、いずれにせよ、浦沢氏の画風とは全く違いました(汗)
他にも、原作は青年誌に連載されているので、結構どギツイところもあるのですが(海の住むところが、周辺住民からは避けられているような、いわゆる色街であるとか。映画ではそこまでロコツではなかったです)、映画は子供の鑑賞を意識してか、かなり健全な内容になっていたんだなあという点も、新しい発見でした。
ですが、筋自体は原作にかなり忠実な映画だったと思います。
確かに、海のピアノと生活環境って、かなり関係が深いので、端折ることによって話が薄くなる部分はあるんですけど。
まあ、映画で扱っているストーリーの範囲内では、なくても影響はなかったですし。
しかもマンガではつけられない「音」を、あれだけ高いレベルで示しているという点だけでも、映画化した意義は十分あったんじゃないかな、と。
で、再び原作の話なのですが、連載当初から、結構先の話を想定して描かれていたのかな、と思える計算された展開で、先に映画の方に入れ込んでしまった私のような人間も、素直に面白いと思えるものでした。
というか、かなりハマッたというのが正確だと思います( ̄ー ̄)
もちろん映画のイメージが崩れるということもなかったですし、むしろ話の密度自体は、どうしたって原作の方が上ですからね。
クラシック音楽を題材にしたマンガといえば、何といっても『のだめカンタービレ』でしょうし、私も大好きな作品ですが、『のだめ』が完全に音楽を中心とした構成で、演奏や解釈、作画に関しても相当のリアリティを追求しているのに対して、『ピアノの森』ではクラシックに対してそこまでの厳密な描写はされていません。
クラシックの専門家からは、恐らく「描写が感覚的で、客観的・理論的な根拠に乏しい」なんていうような評価がされてしまうこともあるんじゃないかと想像できます。
が、『ピアノの森』は、海と修平の成長譚であるという点に重点があるように思いますし、だからといって舞台装置がピアノ以外のものに置き換えられるのか、といえばそれはやはりピアノであるからこそ意味があるとも思います。
なので、これは私の憶測で、調べたわけではありませんが、多分『ピアノの森』は『のだめ』ほどクラシックの専門家からは評価されていないのでは?と思われます。
が、「現実にどれだけ忠実か」という点で作品の価値が決まるわけではありませんし、現に『のだめ』だってリアリティの部分だけが評価されている作品ではありません。
もし、クラシックを題材としているとは言っても、そんな厳密じゃないって聞いたし・・・というような理由で、『ピアノの森』を手にすることをためらっている方がいらっしゃいましたら、是非とも「クラシックのことを描いたマンガだ」という視点を捨てて、「ピアノの出てくるマンガだ」位の気持で読まれることをオススメしますよッ(*´▽`*)
読む機会があるのに、もしくは読んでみようかなという気持があるのに、手を出しかねているというのであれば、それはとても勿体無いことだと思います~。
さて、明日の時点で、『ピアノの森』が14巻まで揃ってしまっていることは疑いありません・・・((((゜Д゜;))))
でも、これだけ一気に読んじゃうと、今度は続きが発売されるまでの間が悶々として辛いんですよね・・・(;´д⊂)
あぁ、それにしても11巻以降が気になります。
何で一緒に買わなかったのか・・・・_| ̄|○
・・・って、いや、さすがに持って帰るのが重いからなんですけどね。
いい年こいて子供みたいですが、読むことの出来る続きがあると思うと、気になって眠れません・・・ヽ(;´Д`)ノ
昨日、友人に「絶対ちいすけが好きそうな映画だから」と誘われ、いきなり今日行って参りました、映画「ピアノの森」(笑)
「『ピアノの森』??何か聞いたことはあるけどなぁ・・・」
とイマイチ反応薄だった私。
が、その友人によれば、音楽監修があのアシュケナージだということで、
「おぉッ!アシュケナージが参加している映画なのかッ!!」
と手のひらを返したように乗り気になったワタシ。
・・・相変わらずミーハーですな_| ̄|○
さて、いざ勇んで映画館に到着。
そして映画のポスターを見て思わず一言。
「実写じゃなくてアニメだったんだぁぁぁ」
友人は、そんなことも知らんかったのか、と言わんばかりの顔(笑)
「あはははは・・・・」
と乾いた笑いをしつつ、座席に着席。
雨宮修平という小学五年生の男の子が、田舎町に引っ越してくるところから物語は始まります。
修平の父親は世界的なピアニストで、本人も周囲からピアニストになることを嘱望されています。
そして修平もそれが自分の運命であると、半ば諦めの境地に達していました。
修平は「将来の夢はピアニストになることです」と自己紹介しましたが、それをクラスのガキ大将からはやし立てられ、「肝試しだ。ピアノを弾けるんなら、夜になったら森のピアノを弾いて来い」と苛められてしまいます。
学校のそばの広大な森の中に、グランドピアノが置かれているというのは、この地域では有名な話だったのです。
しかしもちろん、そのピアノは壊れており、音が出ません。
ところが、一ノ瀬海というクラスメイトが憤然として言い放ちます。
「あのピアノは音が出るんだ!」
ガキ大将と海は取っ組み合いの喧嘩になりますが、音楽教師の阿字野がやって来てクモの子を散らすように退散。
阿字野の暗い雰囲気に気圧され、一人逃げ遅れた修平は、思わず問いかけました。
「森のピアノって音が出るんですか?」
しかし阿字野の返事は、
「音は出ない」。
その後、修平がピアノを弾くことを知った海は、森のピアノのところまで修平を案内します。
森の中に突如現われたグランドピアノに修平は驚きます。
何か弾いてみて、と海に請われ鍵盤に触れた修平。
もちろんクラスの皆が言うようにピアノから音は出ませんでした。
しかし海が鍵盤を叩いた途端、ピアノは修平の心をかき乱してやまない、素晴しい音を奏で始めたのです。
森のピアノは海にしか弾くことの出来ない、特別なピアノでした。
そして、その森のピアノにもある秘密が・・・・。
・・・・と、イントロはこんな感じです。
続きの気になる方は映画館へどうぞ(笑)
まず、この映画はもちろん録音技術まで含め、音が素晴しかったです。
海が最初にピアノを弾くシーンの音は特に、かなり目の奥がウルウルします。
曲も良かったですが、演奏が本当に、「あぁこれなら修平が心を乱されるのもわかるぞ」という説得力に満ちていました。
海はビンボーな家庭の子供で、ピアノも森のピアノしか弾いたことがなく、奏法ももちろん我流。
ピアノを本格的に習ったこともなければ、楽譜だってもちろん読めません。
しかし一度聴いた演奏は耳で覚えきってしまうという能力と、ピアノが好きで好きでたまらないという純粋な気持、そして天性の才能に恵まれているという、まさしく天才として描かれたキャラクターです。
一方の修平は、毎日辛いレッスンを繰り返す努力の人。
この二人の出会いは、それぞれに転機をもたらします。
そして海は先達の残した音楽の素晴しさ、自分の音楽を求める楽しさを知り、修平はピアノを愛する心を知ることになるのです。
クレジットには明記されていませんでしたが、この天才型の海の演奏を、御大アシュケナージが担当していると思われます。
修平以下、他のキャラのピアノは、日本人のまだ若い十代の子が弾いているらしいのですが(そしてもちろん、十分に素晴しいのですが)、やっぱり海の演奏は一味も二味も違いました。
スケールの違いが、音にキチンと表現されていたと言う点でも、映画として成功だったんじゃないかと思いました。
最近は指揮者稼業ばかりで、ピアニストとしての活動をあまり聞かないアシュケナージですが、もっとピアノを弾いてくれ~(微妙な評価の指揮者を続けるよりもさ・・・ということは小声で言っておきます!?Σ(゜д゜|||))、と心から思ってしまいました(笑)
次にストーリー自体もよくできてるなぁ、と。
結構ホロリとさせられた場面も多かったですし。
約一時間半くらいの上映時間だったんですが、その間(近くの人の携帯のバイブ音が2回したとき以外は。電源自体を切っとけーーーーーーッヽ(`Д´)ノ)一度も我に返ることなく、まさに物語に釘付けでした!
確かに、
森のピアノって、雨のときはどうするんだ!?、とか
鋼鉄線なんかとっくにさび付いてるだろうよ、とか
海にだけ弾けるピアノって、いかになんでもねぇ・・・、とか
.「他の曲は全部弾けるのに、ショパンだけ弾けないんだ」というセリフってどうよ??、とか
(ま、『リストだけ弾けないんだ』よりも絵になることは確かですが(笑))
ペダル踏んでないのにあの音は出ないだろうッ、とか
何の準備もなしに10日後のコンクールにいきなり出場するってどうよ?、とか
キャラクターがみんな揃いも揃って善人ってどうよ?、とか
いくらでも突っ込みどころはあるんですが((((゜Д゜;))))
そんなのは、ストーリーの筋からすれば、はっきり言って瑣末なことに思われるくらい、きちんとツボが押さえられた映画です。
浮世離れした設定を一種のおとぎ話として割り切ってしまえば、本当に純粋に楽しめます。
この映画の中でカギになるのは、モーツァルトのピアノソナタ第8番 イ短調 K310です。
実は私、偶然にも今日のBGMが、この8番も収録されているリパッティのラストリサイタルのCDだったんですね~♪
「おぉなんて偶然!まさにタイムリーーーーーーーッ((((゜Д゜;))))」
いやー、運命を感じました(大げさ・・・(・_・;))
さて、原作はモーニングに連載中のマンガだそうで。
映画を見終わった瞬間、友人共々
「原作絶対読むぞーーーーー!!」
と盛り上がっていたのですが。
先ほど調べましたところ、なんと既に14巻も単行本出てるんですね・・・・・(ーー;)
映画館には2巻までしか売ってなかったから、てっきりそんなもんかと思っていたら、今回映画化されたのは序盤のみだったようで(笑)
でも、多分買うと思います、得意の大人買いでΣ(゜д゜|||)
それから声優陣ですが、主役の海を上戸彩、修平を神木隆之介、音楽教師の阿字野を雨上がり決死隊の宮迫博之(以上敬称略)が、それぞれ演じているということを、最後のクレジットで知りまして。
(すみません、キャストに関する前知識さえなかったのです・・・。ま、実写映画かと思ってたくらいですから・・・_(._.)_)
いやー、みなさんお上手でした。
「上戸彩ってなかなかいいやん?」と、素直に思えました。
しかし、阿字野役が宮迫さんだと知らずに見て良かった~。
だって、かなりシリアスな役どころなのに、「声は宮迫か・・・」と思うと、多分私は笑っちゃって、まともに見られなかったと思います(笑)
・・・というのは半分冗談ですが、逆に言えば、普段の芸人ぶりからは想像もつかない熱演でした。
本当にオススメですよ、この映画。
原作を知らない人も(って私のことですが)、クラシックに詳しくない人も、本当に楽しめると思います。
でも実は、原作は浦沢直樹氏(『MONSTER』とか『YAWARA!』とかの人)だとばっかり思ってました、スミマセン。
だってだって、絵がソックリだったんですものーーーーーーーーーーッ(;゜д゜)
本当の原作者は一色まことさんと仰るそうです。失礼。
「『ピアノの森』??何か聞いたことはあるけどなぁ・・・」
とイマイチ反応薄だった私。
が、その友人によれば、音楽監修があのアシュケナージだということで、
「おぉッ!アシュケナージが参加している映画なのかッ!!」
と手のひらを返したように乗り気になったワタシ。
・・・相変わらずミーハーですな_| ̄|○
さて、いざ勇んで映画館に到着。
そして映画のポスターを見て思わず一言。
「実写じゃなくてアニメだったんだぁぁぁ」
友人は、そんなことも知らんかったのか、と言わんばかりの顔(笑)
「あはははは・・・・」
と乾いた笑いをしつつ、座席に着席。
雨宮修平という小学五年生の男の子が、田舎町に引っ越してくるところから物語は始まります。
修平の父親は世界的なピアニストで、本人も周囲からピアニストになることを嘱望されています。
そして修平もそれが自分の運命であると、半ば諦めの境地に達していました。
修平は「将来の夢はピアニストになることです」と自己紹介しましたが、それをクラスのガキ大将からはやし立てられ、「肝試しだ。ピアノを弾けるんなら、夜になったら森のピアノを弾いて来い」と苛められてしまいます。
学校のそばの広大な森の中に、グランドピアノが置かれているというのは、この地域では有名な話だったのです。
しかしもちろん、そのピアノは壊れており、音が出ません。
ところが、一ノ瀬海というクラスメイトが憤然として言い放ちます。
「あのピアノは音が出るんだ!」
ガキ大将と海は取っ組み合いの喧嘩になりますが、音楽教師の阿字野がやって来てクモの子を散らすように退散。
阿字野の暗い雰囲気に気圧され、一人逃げ遅れた修平は、思わず問いかけました。
「森のピアノって音が出るんですか?」
しかし阿字野の返事は、
「音は出ない」。
その後、修平がピアノを弾くことを知った海は、森のピアノのところまで修平を案内します。
森の中に突如現われたグランドピアノに修平は驚きます。
何か弾いてみて、と海に請われ鍵盤に触れた修平。
もちろんクラスの皆が言うようにピアノから音は出ませんでした。
しかし海が鍵盤を叩いた途端、ピアノは修平の心をかき乱してやまない、素晴しい音を奏で始めたのです。
森のピアノは海にしか弾くことの出来ない、特別なピアノでした。
そして、その森のピアノにもある秘密が・・・・。
・・・・と、イントロはこんな感じです。
続きの気になる方は映画館へどうぞ(笑)
まず、この映画はもちろん録音技術まで含め、音が素晴しかったです。
海が最初にピアノを弾くシーンの音は特に、かなり目の奥がウルウルします。
曲も良かったですが、演奏が本当に、「あぁこれなら修平が心を乱されるのもわかるぞ」という説得力に満ちていました。
海はビンボーな家庭の子供で、ピアノも森のピアノしか弾いたことがなく、奏法ももちろん我流。
ピアノを本格的に習ったこともなければ、楽譜だってもちろん読めません。
しかし一度聴いた演奏は耳で覚えきってしまうという能力と、ピアノが好きで好きでたまらないという純粋な気持、そして天性の才能に恵まれているという、まさしく天才として描かれたキャラクターです。
一方の修平は、毎日辛いレッスンを繰り返す努力の人。
この二人の出会いは、それぞれに転機をもたらします。
そして海は先達の残した音楽の素晴しさ、自分の音楽を求める楽しさを知り、修平はピアノを愛する心を知ることになるのです。
クレジットには明記されていませんでしたが、この天才型の海の演奏を、御大アシュケナージが担当していると思われます。
修平以下、他のキャラのピアノは、日本人のまだ若い十代の子が弾いているらしいのですが(そしてもちろん、十分に素晴しいのですが)、やっぱり海の演奏は一味も二味も違いました。
スケールの違いが、音にキチンと表現されていたと言う点でも、映画として成功だったんじゃないかと思いました。
最近は指揮者稼業ばかりで、ピアニストとしての活動をあまり聞かないアシュケナージですが、もっとピアノを弾いてくれ~(微妙な評価の指揮者を続けるよりもさ・・・ということは小声で言っておきます!?Σ(゜д゜|||))、と心から思ってしまいました(笑)
次にストーリー自体もよくできてるなぁ、と。
結構ホロリとさせられた場面も多かったですし。
約一時間半くらいの上映時間だったんですが、その間(近くの人の携帯のバイブ音が2回したとき以外は。電源自体を切っとけーーーーーーッヽ(`Д´)ノ)一度も我に返ることなく、まさに物語に釘付けでした!
確かに、
森のピアノって、雨のときはどうするんだ!?、とか
鋼鉄線なんかとっくにさび付いてるだろうよ、とか
海にだけ弾けるピアノって、いかになんでもねぇ・・・、とか
.「他の曲は全部弾けるのに、ショパンだけ弾けないんだ」というセリフってどうよ??、とか
(ま、『リストだけ弾けないんだ』よりも絵になることは確かですが(笑))
ペダル踏んでないのにあの音は出ないだろうッ、とか
何の準備もなしに10日後のコンクールにいきなり出場するってどうよ?、とか
キャラクターがみんな揃いも揃って善人ってどうよ?、とか
いくらでも突っ込みどころはあるんですが((((゜Д゜;))))
そんなのは、ストーリーの筋からすれば、はっきり言って瑣末なことに思われるくらい、きちんとツボが押さえられた映画です。
浮世離れした設定を一種のおとぎ話として割り切ってしまえば、本当に純粋に楽しめます。
この映画の中でカギになるのは、モーツァルトのピアノソナタ第8番 イ短調 K310です。
実は私、偶然にも今日のBGMが、この8番も収録されているリパッティのラストリサイタルのCDだったんですね~♪
「おぉなんて偶然!まさにタイムリーーーーーーーッ((((゜Д゜;))))」
いやー、運命を感じました(大げさ・・・(・_・;))
さて、原作はモーニングに連載中のマンガだそうで。
映画を見終わった瞬間、友人共々
「原作絶対読むぞーーーーー!!」
と盛り上がっていたのですが。
先ほど調べましたところ、なんと既に14巻も単行本出てるんですね・・・・・(ーー;)
映画館には2巻までしか売ってなかったから、てっきりそんなもんかと思っていたら、今回映画化されたのは序盤のみだったようで(笑)
でも、多分買うと思います、得意の大人買いでΣ(゜д゜|||)
それから声優陣ですが、主役の海を上戸彩、修平を神木隆之介、音楽教師の阿字野を雨上がり決死隊の宮迫博之(以上敬称略)が、それぞれ演じているということを、最後のクレジットで知りまして。
(すみません、キャストに関する前知識さえなかったのです・・・。ま、実写映画かと思ってたくらいですから・・・_(._.)_)
いやー、みなさんお上手でした。
「上戸彩ってなかなかいいやん?」と、素直に思えました。
しかし、阿字野役が宮迫さんだと知らずに見て良かった~。
だって、かなりシリアスな役どころなのに、「声は宮迫か・・・」と思うと、多分私は笑っちゃって、まともに見られなかったと思います(笑)
・・・というのは半分冗談ですが、逆に言えば、普段の芸人ぶりからは想像もつかない熱演でした。
本当にオススメですよ、この映画。
原作を知らない人も(って私のことですが)、クラシックに詳しくない人も、本当に楽しめると思います。
でも実は、原作は浦沢直樹氏(『MONSTER』とか『YAWARA!』とかの人)だとばっかり思ってました、スミマセン。
だってだって、絵がソックリだったんですものーーーーーーーーーーッ(;゜д゜)
本当の原作者は一色まことさんと仰るそうです。失礼。
夏休みに入りましたね~。
夏休みになりますと、各出版社から恒例の「夏の百冊」なるシリーズが発売されます。
『こころ』や『暗夜行路』のような古典的名作から、ベストセラーはもちろんのこと、出版社イチオシの作家の代表作・話題作などが目白押しです。
ま、例年そんなに代わり映えしないラインナップですけどね・・・。
先日、旭屋書店をウロウロしていると、そんな「百冊コーナー」を見つけました。
(ま、探すまでもなく、目立つところに展開されてるわけですが。)
今年のラインナップはどんなんだろう・・・と表紙を追っていると、こんな帯をつけた文庫本が目に留まりました。
「これがライトノベルだ」
ほほぉ、これまた大きく出ましたね~と感心しつつ手に取ってみると、確かに私も聞いたことのある文字が並んでいました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流(ながる)著 角川スニーカー文庫
かなりの人気シリーズらしいです。
ところで私は、ライトノベルという単語の存在は知っていたのですが、果たしてそのジャンルがどういった小説を指すのかという、根本的な部分に関しては、完全に勝手な思い込みしかありませんでしたので、
「これを読めば分かるのか???」
という、出版社の目論見にまんまとはまったバカな消費者よろしく、つい購入してしまいました(笑)
まず、ライトノベルというジャンルの定義ですが、やはり諸説色々とあるようです。
ウィキペディアに載せられている定義を流用させていただきますと、
アニメ調のイラストを多用していればライトノベル
キャラクターを中心として作られていればライトノベル
青少年(あるいは中高生)を読者層に想定して執筆されていればライトノベル
ライトノベルを発行しているレーベルから出ていればライトノベル
作家がライトノベルを書いてればライトノベル
下二つの定義は、ライトノベルの定義をライトノベルという言葉を使って説明してしまっているので、典型的な循環論法になってしまってますが・・・(笑)
まあ、私の勝手な感じからしますと、(つまり、読む前から漠然と抱いていたライトノベルに対する印象です)
1.アニメ・マンガファンが好んで読む小説。(従来の小説と違いメディアミックスが重要な要素になっている。コミック化、映画化、アニメ化がセットになっている。)
2.「萌え」要素のある小説。
3.現実的な世界を舞台としているが、そこに何らかの形で異世界・異世界観が混入している小説。
4.対象年齢が主に10代~20代前半になっている小説。
とまあ、こんな感じを抱いていました。
ウィキによると、この印象は結構的を射ていたようですね。
1・2は結局同じことを言っているのかもしれません。
恐らく、ライトノベルのキャラクターというのは、人気シリーズであればまず例外なく「フィギア」になっていると思われますし、事実私も日本橋で「涼宮ハルヒ」のフィギアを見たことがあります。
(今回本を読んで初めて、『あぁ、あれがハルヒだったのか(笑)』と気付きました。挿絵が付いてましたので。)
3は、いわゆるハイファンタジーといわれる系統や、ハードSFといわれる系統は、原則として除かれるということですね。
ハイファンタジーというのは、一度ここでも書いたことがありますが、広義にはトールキンの『指輪物語』を始祖とする完全異世界を設定したファンタジーのことで、狭義にはさらに「高尚な(何を高尚とするのかは難しいですが・・・)」「文学的な」「完成度の高い」といった、ファンタジーであり、かつ何らかの肯定的意義を有する作品に対して用いられる呼称です。
具体的な特徴としては、叙事詩的であったり、神話的であったり、英雄譚であったりしますが、世界創生に関わる内容を包含しており、かつシリアス・重厚な作風を持っている点が挙げられるかと思います。
ハードSFというのは、それが実現できるかどうかは別として、厳密な科学理論に基づいて書かれた作品のことです。またハイファンタジー同様に、シリアスなトーンで物語が進行し、大人の読書にも耐えられるだけの内容を持っている作品とも言えるでしょうか。
例を挙げれば、ハイファンタジーは『指輪物語』の他、アメリカの作家グッドカインドによる『真実の剣』シリーズ(最近ダレ気味で読んでませんが、最初の方は本当に面白いです。ハヤカワから出てます)、また国産では(読んでませんが・・(汗))恐らく栗本薫氏の『グイン・サーガ』シリーズもこの系統ではないかと思います(でも、違うかも・・・自信なしヽ(;・ー・)ノ)。
ハードSFは、クラークの『2001年宇宙の旅』、ホーガンの『星を継ぐもの』シリーズや、またハードSFの手法を踏襲した上で、さらに思索的な面を取り入れた、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(映画「ブレードランナー」の原作です)、バラードの『結晶世界』なんてあたりが有名でしょうか。
(一応、『グインサーガ』以外は、自分で読んだものを例に挙げました。)
一方ライトノベルというのは、中高生が主人公となり、彼・彼女らが、異世界へと強制的に連れて行かれるという、巻き込まれ型を主流にしているように思われます。
(これも切れ切れに入ってくる情報から推測(笑))
4については、従来青少年向けの作品は「ジュヴナイル」などと言われてきましたが、これは学校の図書室にも並べられているように、いわゆる「教育的に好ましい」作品であるという面を持っています。
が、当然ライトノベルは、そのように「教育的に好ましい」かどうかは全く関係ありません。
純粋にエンターテイメント小説であることが重要であると思われます。
で、いつものように長い前書きでしたが(・_・;)
本題の『涼宮ハルヒの憂鬱』、読んでみました。
コレ、大人気シリーズらしくて、以下溜息・退屈・消失・・・と続々出ているらしいのですが。
あ、ちなみに「涼宮」は「すずみや」と読みます。
「俺」の一人称で終始語られるのですが、主人公はタイトルにもある「ハルヒ」。
ハルヒは黙っていればものすごい美少女なのですが、横暴・強引・変人という、かなり迷惑なキャラクターです。
そのハルヒと「俺」の周りには、未来人やら宇宙人やら超能力者やらが(この話の主旨からすると必然的に)集まってきまして、世界の存亡を巡りすっちゃかめっちゃかの争いが勃発するというストーリー。
読後の最初の印象としては、「タイトルのつけ方が巧いな」と。
読む前は、「ヘンなタイトルだな・・・」と思っていたのですが(笑)
ハルヒが何者なのかが明かされたときに、このタイトルの意味がかなりシックリ来ます。
また、もともとが角川主催の「ライトノベル大賞」への応募作品だったということもあり、一冊でもそれなりに話はまとまっているな、とも思いました。
でもですね、私には正直、入っていけない世界でございました、ハイ。
「どこが面白いのか教えてくれ~ッ!!」
ってな感じでしてね・・・・。
うーん、一人称で語っているのに最後までテンポがダレないとか、そういう点は確かに審査員の皆様が激賞されたポイントとして納得できます。
小説初心者は「一人称で書くな」というのが鉄則ですからね、激しい思い込みに堕し易いという意味で。
世界観もそれなりにしっかり構築されているのでしょう、恐らく。
ハルヒという存在の謎を巡るストーリーであるという点も分かりやすいですし。
でも、私はほとんど引き込まれませんでした、ストーリーそのものに・・・・ファンの方すみません。
途中で一回寝ちゃったくらいなんですよねぇ・・・・。
ま、やっぱり私が対象年齢を大きく逸脱しているという点に問題があったんでしょうかね(涙)
でもですね、さっき知ったのですが、場合によってはライトノベルに分類されることもあるという(私は、それらの作品がライトノベルになるとは思ってもみなかったのですが)、
『銀河英雄伝説』 田中芳樹著 (現在は創元SF文庫から刊行中)
『十二国記』シリーズ 小野不由美著 (講談社文庫)
この二つのシリーズは、とっても面白いと思うのです。
特に後者は、ヒロインがモトは女子高生というあたり、対象年齢が明らかに青少年層なんですが。(が、実は私自身が高校生のときから読んでるという点も申し添えておきます・・・Σ(゜д゜|||))
うーん、ハルヒって続編の方が面白いのかなぁ・・・。
だって、世間で騒がれてるなら、もうちょっと面白くてもいいと思うんですよね・・・(失礼発言?)
もうちょっとリサーチしてみますか(笑)
夏休みになりますと、各出版社から恒例の「夏の百冊」なるシリーズが発売されます。
『こころ』や『暗夜行路』のような古典的名作から、ベストセラーはもちろんのこと、出版社イチオシの作家の代表作・話題作などが目白押しです。
ま、例年そんなに代わり映えしないラインナップですけどね・・・。
先日、旭屋書店をウロウロしていると、そんな「百冊コーナー」を見つけました。
(ま、探すまでもなく、目立つところに展開されてるわけですが。)
今年のラインナップはどんなんだろう・・・と表紙を追っていると、こんな帯をつけた文庫本が目に留まりました。
「これがライトノベルだ」
ほほぉ、これまた大きく出ましたね~と感心しつつ手に取ってみると、確かに私も聞いたことのある文字が並んでいました。
『涼宮ハルヒの憂鬱』 谷川流(ながる)著 角川スニーカー文庫
かなりの人気シリーズらしいです。
ところで私は、ライトノベルという単語の存在は知っていたのですが、果たしてそのジャンルがどういった小説を指すのかという、根本的な部分に関しては、完全に勝手な思い込みしかありませんでしたので、
「これを読めば分かるのか???」
という、出版社の目論見にまんまとはまったバカな消費者よろしく、つい購入してしまいました(笑)
まず、ライトノベルというジャンルの定義ですが、やはり諸説色々とあるようです。
ウィキペディアに載せられている定義を流用させていただきますと、
下二つの定義は、ライトノベルの定義をライトノベルという言葉を使って説明してしまっているので、典型的な循環論法になってしまってますが・・・(笑)
まあ、私の勝手な感じからしますと、(つまり、読む前から漠然と抱いていたライトノベルに対する印象です)
1.アニメ・マンガファンが好んで読む小説。(従来の小説と違いメディアミックスが重要な要素になっている。コミック化、映画化、アニメ化がセットになっている。)
2.「萌え」要素のある小説。
3.現実的な世界を舞台としているが、そこに何らかの形で異世界・異世界観が混入している小説。
4.対象年齢が主に10代~20代前半になっている小説。
とまあ、こんな感じを抱いていました。
ウィキによると、この印象は結構的を射ていたようですね。
1・2は結局同じことを言っているのかもしれません。
恐らく、ライトノベルのキャラクターというのは、人気シリーズであればまず例外なく「フィギア」になっていると思われますし、事実私も日本橋で「涼宮ハルヒ」のフィギアを見たことがあります。
(今回本を読んで初めて、『あぁ、あれがハルヒだったのか(笑)』と気付きました。挿絵が付いてましたので。)
3は、いわゆるハイファンタジーといわれる系統や、ハードSFといわれる系統は、原則として除かれるということですね。
ハイファンタジーというのは、一度ここでも書いたことがありますが、広義にはトールキンの『指輪物語』を始祖とする完全異世界を設定したファンタジーのことで、狭義にはさらに「高尚な(何を高尚とするのかは難しいですが・・・)」「文学的な」「完成度の高い」といった、ファンタジーであり、かつ何らかの肯定的意義を有する作品に対して用いられる呼称です。
具体的な特徴としては、叙事詩的であったり、神話的であったり、英雄譚であったりしますが、世界創生に関わる内容を包含しており、かつシリアス・重厚な作風を持っている点が挙げられるかと思います。
ハードSFというのは、それが実現できるかどうかは別として、厳密な科学理論に基づいて書かれた作品のことです。またハイファンタジー同様に、シリアスなトーンで物語が進行し、大人の読書にも耐えられるだけの内容を持っている作品とも言えるでしょうか。
例を挙げれば、ハイファンタジーは『指輪物語』の他、アメリカの作家グッドカインドによる『真実の剣』シリーズ(最近ダレ気味で読んでませんが、最初の方は本当に面白いです。ハヤカワから出てます)、また国産では(読んでませんが・・(汗))恐らく栗本薫氏の『グイン・サーガ』シリーズもこの系統ではないかと思います(でも、違うかも・・・自信なしヽ(;・ー・)ノ)。
ハードSFは、クラークの『2001年宇宙の旅』、ホーガンの『星を継ぐもの』シリーズや、またハードSFの手法を踏襲した上で、さらに思索的な面を取り入れた、ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』(映画「ブレードランナー」の原作です)、バラードの『結晶世界』なんてあたりが有名でしょうか。
(一応、『グインサーガ』以外は、自分で読んだものを例に挙げました。)
一方ライトノベルというのは、中高生が主人公となり、彼・彼女らが、異世界へと強制的に連れて行かれるという、巻き込まれ型を主流にしているように思われます。
(これも切れ切れに入ってくる情報から推測(笑))
4については、従来青少年向けの作品は「ジュヴナイル」などと言われてきましたが、これは学校の図書室にも並べられているように、いわゆる「教育的に好ましい」作品であるという面を持っています。
が、当然ライトノベルは、そのように「教育的に好ましい」かどうかは全く関係ありません。
純粋にエンターテイメント小説であることが重要であると思われます。
で、いつものように長い前書きでしたが(・_・;)
本題の『涼宮ハルヒの憂鬱』、読んでみました。
コレ、大人気シリーズらしくて、以下溜息・退屈・消失・・・と続々出ているらしいのですが。
あ、ちなみに「涼宮」は「すずみや」と読みます。
「俺」の一人称で終始語られるのですが、主人公はタイトルにもある「ハルヒ」。
ハルヒは黙っていればものすごい美少女なのですが、横暴・強引・変人という、かなり迷惑なキャラクターです。
そのハルヒと「俺」の周りには、未来人やら宇宙人やら超能力者やらが(この話の主旨からすると必然的に)集まってきまして、世界の存亡を巡りすっちゃかめっちゃかの争いが勃発するというストーリー。
読後の最初の印象としては、「タイトルのつけ方が巧いな」と。
読む前は、「ヘンなタイトルだな・・・」と思っていたのですが(笑)
ハルヒが何者なのかが明かされたときに、このタイトルの意味がかなりシックリ来ます。
また、もともとが角川主催の「ライトノベル大賞」への応募作品だったということもあり、一冊でもそれなりに話はまとまっているな、とも思いました。
でもですね、私には正直、入っていけない世界でございました、ハイ。
「どこが面白いのか教えてくれ~ッ!!」
ってな感じでしてね・・・・。
うーん、一人称で語っているのに最後までテンポがダレないとか、そういう点は確かに審査員の皆様が激賞されたポイントとして納得できます。
小説初心者は「一人称で書くな」というのが鉄則ですからね、激しい思い込みに堕し易いという意味で。
世界観もそれなりにしっかり構築されているのでしょう、恐らく。
ハルヒという存在の謎を巡るストーリーであるという点も分かりやすいですし。
でも、私はほとんど引き込まれませんでした、ストーリーそのものに・・・・ファンの方すみません。
途中で一回寝ちゃったくらいなんですよねぇ・・・・。
ま、やっぱり私が対象年齢を大きく逸脱しているという点に問題があったんでしょうかね(涙)
でもですね、さっき知ったのですが、場合によってはライトノベルに分類されることもあるという(私は、それらの作品がライトノベルになるとは思ってもみなかったのですが)、
『銀河英雄伝説』 田中芳樹著 (現在は創元SF文庫から刊行中)
『十二国記』シリーズ 小野不由美著 (講談社文庫)
この二つのシリーズは、とっても面白いと思うのです。
特に後者は、ヒロインがモトは女子高生というあたり、対象年齢が明らかに青少年層なんですが。(が、実は私自身が高校生のときから読んでるという点も申し添えておきます・・・Σ(゜д゜|||))
うーん、ハルヒって続編の方が面白いのかなぁ・・・。
だって、世間で騒がれてるなら、もうちょっと面白くてもいいと思うんですよね・・・(失礼発言?)
もうちょっとリサーチしてみますか(笑)
今日は、第二回目のリュート講座に行って参りました!
前回の放浪に懲りていた私は、駅前のコンビニで素直にお握りとお茶を買い込み、一路大阪音大キャンパスへと歩を進めたのでした。
二回目の訪問にして、既に指定席となりつつあるベンチへ直行。
運良く雨も降らず、ノンビリ大学生の皆さんを観察。
「何か変わった帽子を被った子がいるなぁ」とか
(一瞬松田優作のコスプレか!?と思った)
「お、あの子は音大生のイメージにピッタリ。いかにもお嬢様のファッションだわ」とか
(白いフリルのブラウスに、チャコールグレイのタイトスカートを穿いてた)
好き勝手なことを考えながら、ボーっとしていますと。
来ましたよ、例のヤツが。
前回をお読み頂いた方にはおなじみの、あのスズメでございますッΣ(゜д゜|||)
今日は一羽だけやってきましたが、前回同様、全く臆するところなく、目の前の灰皿の上に止まり、可愛らしく小首を傾げてきます。
横には数名の学生がいるにも拘らず、食べ物を手にしていたのが私だけだったせいもあり、そちらは全くのムシ(笑)。
今日は米粒だったので、手に引っ付いてしまうため、投げるわけにもいかず、試しに私の横に一粒置いてみました。
すると、
お前は本当に野生のスズメなのかッ!?
と叱り飛ばしてしまいたくなるほど、当たり前のようにやって来て米粒をついばみます。
しかも食べ終わると、再び寄ってきて、「ちょーだい(*'-')」とポーズ。
何度か米粒をやった後、試しに人差し指と親指で米粒をつまんだまま、スズメの目の前に差し出してみました。
結果は・・・・・
コレでいいのかスズメよッ!?
なんと見事に、私の手から直接米粒をふんだくっていったのです!!!
コレには驚きました。
しばらくスズメを凝視してしまったくらいです。
スズメってそんな鳥でしたっけ・・・・・?
そんなこんなで、相変わらずの幕開けだったわけですが、第二回リュート講座の始まりです。
今日は前回の右手の復習から始まりました。
このブログで文章にしておいた為か、教えていただいたことはそれなりに頭に入っていました。
・・・・じゃなかったら、私のことです、イキナリ組む足の上下から間違っていた恐れアリ(涙)
ギターとほぼ同じような構えですから、左足を上にして組まなくてはいけないのです。
15分ほど右手の復習、つまり弦の弾き方ですね、を行った後、今日は左手の構えの練習でした。
左手をダラーンと脱力させ、手のひらを正面に向けます。
そのままヒジを曲げて、楽器のネック(指板)を掴みます。
これが、基本的な左手の構え(位置)になるそうです。
さて、ギターを演奏される方ならご存知ですが、ネックには、フレットと呼ばれる縦の線(と言ってしまっていいのか微妙ですが)が付いています。
指で押さえて音階を作る際の目印になる線です。
弦と垂直に引かれている縦線のことです。
このフレット(正確には、そのホンの少し左横)を押さえるのが、次の難関です。
親指は、ネックの後ろ(丁度かまぼこのような曲線を描いていまして、そのほぼ頂点にペタリと添える形になります)に、残る人差し指から小指までを、フレットに乗せていくわけなのですが。

これが、ネックの後ろ側です。
緩やかな山形になっているのがお分かりいただけるでしょうか??
・・・・この写真では分かりにくいかと思いますが(;´д⊂)
ネックの下の部分に、指の付け根が平行に沿うように構えます。
親指はネックの裏、そのまま指の付け根をネックの下部に沿わせるので、正面の人からは、ほぼ四本の指だけが見えるような形になるわけです。
で、フレットを押さえるわけですが。
一番外側を人差し指で、二番目を中指、後は順に薬指、小指と、練習なので、四本とも全てフレット上に置いていきます。
フレットとフレットの間は、測らなかったので分かりませんが、恐らく4センチ弱くらいだったかと思います。
結構広いと思いませんか???
四本の指を四センチ間隔で広げてみてください!
・・・・・・・・・・・・つ、攣るぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ((((゜Д゜;))))
というのが、私の声にならない叫びでございました・・・・_| ̄|○
野球のピッチャーが、フォークボールの握りの練習をしているような気分でした。
が、頑張って弾いていると、一郎さん(初めてお読みになった方へ。この講座の先生で、高本一郎さんと仰るリュート奏者の方です。HPにリンクも貼らせていただいてます)が一言。
「OKです(*^-^*)」
おぉぉぉ、他の皆さんと同じ様に、及第点をいただいてしまいました♪
また何かやらかしたんじゃないかと期待された皆様、ご期待を裏切ってしまい申し訳ありません(笑)
しかし、一郎さんも仰ってましたが、この左手の形って、日常生活では、まず取ることのないポジションなんですよね。
ネックから外した後の左手は、大リーグ養成ギプスから解放された後のように(ってそんなギプスしたことないですが)、しばらく固まっていたのでした。
授業の後半は、前回同様、リュートの様々な演奏をCDで鑑賞。
6コース(6弦というのにほぼ同意)の、もっとも弦の少ない中世の古いリュートから、順に時代を追う形で、8コース、10コース、最後はルネサンスの11コースと、弦の本数が増えるに従って、音色がどう変わっていくか、という推移を分かりやすく解説していただきました。
6コースは素朴でシンプルな音色、増えるに従って、低音に厚みが増し、倍音も鳴るので共鳴が華やかになっていきます。
音楽史上で、最も長い期間親しまれていた楽器は、リュートかオルガンかというくらいに歴史のある楽器だそうです。
現在では音が大きく鳴らないとか、奏法が複雑とか、様々な理由で近代に誕生してきた楽器に主役を奪われてしまっていますが、やはり、長期にわたり人々の心を掴んで離さなかったその美しい音色は、まさに「天使の歌声」と形容されるにピッタリです。
・・・・ま、私が弾いてもそんな音色にはならないんですけどね~・・・_| ̄|○
さて。
今日は一郎さんから、他の受講生の方と同じように、「OKです」「大丈夫ですよ~」ってコメントを頂きました、と報告したところ。
「たぶん、ちいすけが緊張してるから、それをほぐしてあげようっていう一郎さんの気遣いでしょ?」
「前回は足の色が真っ青になるくらい緊張してたんだもんね~?」
と、言われてしまいました・・・_| ̄|○
(ちなみにこのセリフを言ったのはダンナじゃありません・・・。みんなから私はどんな人間だと思われているんでしょうか(涙))
【おまけ】
リュートの写真です。
下は装飾の部分のアップです。
でも、ただのお飾りではなく、本体で共鳴した音がここから出て来るという、とても重要な部分です。


前回の放浪に懲りていた私は、駅前のコンビニで素直にお握りとお茶を買い込み、一路大阪音大キャンパスへと歩を進めたのでした。
二回目の訪問にして、既に指定席となりつつあるベンチへ直行。
運良く雨も降らず、ノンビリ大学生の皆さんを観察。
「何か変わった帽子を被った子がいるなぁ」とか
(一瞬松田優作のコスプレか!?と思った)
「お、あの子は音大生のイメージにピッタリ。いかにもお嬢様のファッションだわ」とか
(白いフリルのブラウスに、チャコールグレイのタイトスカートを穿いてた)
好き勝手なことを考えながら、ボーっとしていますと。
来ましたよ、例のヤツが。
前回をお読み頂いた方にはおなじみの、あのスズメでございますッΣ(゜д゜|||)
今日は一羽だけやってきましたが、前回同様、全く臆するところなく、目の前の灰皿の上に止まり、可愛らしく小首を傾げてきます。
横には数名の学生がいるにも拘らず、食べ物を手にしていたのが私だけだったせいもあり、そちらは全くのムシ(笑)。
今日は米粒だったので、手に引っ付いてしまうため、投げるわけにもいかず、試しに私の横に一粒置いてみました。
すると、
お前は本当に野生のスズメなのかッ!?
と叱り飛ばしてしまいたくなるほど、当たり前のようにやって来て米粒をついばみます。
しかも食べ終わると、再び寄ってきて、「ちょーだい(*'-')」とポーズ。
何度か米粒をやった後、試しに人差し指と親指で米粒をつまんだまま、スズメの目の前に差し出してみました。
結果は・・・・・
コレでいいのかスズメよッ!?
なんと見事に、私の手から直接米粒をふんだくっていったのです!!!
コレには驚きました。
しばらくスズメを凝視してしまったくらいです。
スズメってそんな鳥でしたっけ・・・・・?
そんなこんなで、相変わらずの幕開けだったわけですが、第二回リュート講座の始まりです。
今日は前回の右手の復習から始まりました。
このブログで文章にしておいた為か、教えていただいたことはそれなりに頭に入っていました。
・・・・じゃなかったら、私のことです、イキナリ組む足の上下から間違っていた恐れアリ(涙)
ギターとほぼ同じような構えですから、左足を上にして組まなくてはいけないのです。
15分ほど右手の復習、つまり弦の弾き方ですね、を行った後、今日は左手の構えの練習でした。
左手をダラーンと脱力させ、手のひらを正面に向けます。
そのままヒジを曲げて、楽器のネック(指板)を掴みます。
これが、基本的な左手の構え(位置)になるそうです。
さて、ギターを演奏される方ならご存知ですが、ネックには、フレットと呼ばれる縦の線(と言ってしまっていいのか微妙ですが)が付いています。
指で押さえて音階を作る際の目印になる線です。
弦と垂直に引かれている縦線のことです。
このフレット(正確には、そのホンの少し左横)を押さえるのが、次の難関です。
親指は、ネックの後ろ(丁度かまぼこのような曲線を描いていまして、そのほぼ頂点にペタリと添える形になります)に、残る人差し指から小指までを、フレットに乗せていくわけなのですが。
これが、ネックの後ろ側です。
緩やかな山形になっているのがお分かりいただけるでしょうか??
・・・・この写真では分かりにくいかと思いますが(;´д⊂)
ネックの下の部分に、指の付け根が平行に沿うように構えます。
親指はネックの裏、そのまま指の付け根をネックの下部に沿わせるので、正面の人からは、ほぼ四本の指だけが見えるような形になるわけです。
で、フレットを押さえるわけですが。
一番外側を人差し指で、二番目を中指、後は順に薬指、小指と、練習なので、四本とも全てフレット上に置いていきます。
フレットとフレットの間は、測らなかったので分かりませんが、恐らく4センチ弱くらいだったかと思います。
結構広いと思いませんか???
四本の指を四センチ間隔で広げてみてください!
・・・・・・・・・・・・つ、攣るぅぅぅぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ((((゜Д゜;))))
というのが、私の声にならない叫びでございました・・・・_| ̄|○
野球のピッチャーが、フォークボールの握りの練習をしているような気分でした。
が、頑張って弾いていると、一郎さん(初めてお読みになった方へ。この講座の先生で、高本一郎さんと仰るリュート奏者の方です。HPにリンクも貼らせていただいてます)が一言。
「OKです(*^-^*)」
おぉぉぉ、他の皆さんと同じ様に、及第点をいただいてしまいました♪
また何かやらかしたんじゃないかと期待された皆様、ご期待を裏切ってしまい申し訳ありません(笑)
しかし、一郎さんも仰ってましたが、この左手の形って、日常生活では、まず取ることのないポジションなんですよね。
ネックから外した後の左手は、大リーグ養成ギプスから解放された後のように(ってそんなギプスしたことないですが)、しばらく固まっていたのでした。
授業の後半は、前回同様、リュートの様々な演奏をCDで鑑賞。
6コース(6弦というのにほぼ同意)の、もっとも弦の少ない中世の古いリュートから、順に時代を追う形で、8コース、10コース、最後はルネサンスの11コースと、弦の本数が増えるに従って、音色がどう変わっていくか、という推移を分かりやすく解説していただきました。
6コースは素朴でシンプルな音色、増えるに従って、低音に厚みが増し、倍音も鳴るので共鳴が華やかになっていきます。
音楽史上で、最も長い期間親しまれていた楽器は、リュートかオルガンかというくらいに歴史のある楽器だそうです。
現在では音が大きく鳴らないとか、奏法が複雑とか、様々な理由で近代に誕生してきた楽器に主役を奪われてしまっていますが、やはり、長期にわたり人々の心を掴んで離さなかったその美しい音色は、まさに「天使の歌声」と形容されるにピッタリです。
・・・・ま、私が弾いてもそんな音色にはならないんですけどね~・・・_| ̄|○
さて。
今日は一郎さんから、他の受講生の方と同じように、「OKです」「大丈夫ですよ~」ってコメントを頂きました、と報告したところ。
「たぶん、ちいすけが緊張してるから、それをほぐしてあげようっていう一郎さんの気遣いでしょ?」
「前回は足の色が真っ青になるくらい緊張してたんだもんね~?」
と、言われてしまいました・・・_| ̄|○
(ちなみにこのセリフを言ったのはダンナじゃありません・・・。みんなから私はどんな人間だと思われているんでしょうか(涙))
【おまけ】
リュートの写真です。
下は装飾の部分のアップです。
でも、ただのお飾りではなく、本体で共鳴した音がここから出て来るという、とても重要な部分です。