この本、今すごく売れてるらしいですね~!
ジュンク堂大阪店の正面入り口の展示コーナーに、「こんなに仕入れて大丈夫ですか!?」と客が心配してしまうほど、大量に置かれていました。
(でも本は売れなかったら普通は返品可だったような気がするので、いいのかな・・・・。ハリポタは書店買取だったというのをわざわざ記憶してるということは)
『裁判官の爆笑お言葉集』 長嶺超輝著 (幻冬社新書)
2007年3月30日第一刷発行で、もう第三刷!!ちなみに第三刷の発行年月日は2007年4月11日です。
二週間経ってないのに・・・・・・((((゜Д゜;))))
著者は司法試験を目指していましたが、7回の不合格を経て断念。今はライター業の傍ら、裁判の傍聴も行っていらっしゃるという方だそうです。
この本は、著者自身が傍聴時に耳にした裁判官の発言だけでなく、新聞などのメディアや、判例関係の雑誌などに掲載されている判例などからも、裁判官の発言を収集しているようです。登場している裁判官は、日本全国の裁判所にまたがっていますので。
それにしても最近は、司法関係の書籍の中でも、特に裁判所・裁判官にまつわるものが多いですね~。
それも当然で、平成21年5月までの間に、裁判員制度が施行されるからですね。
裁判員制度、私は非常に興味があるのですが、実際に選ばれて(半分、『当たって』みたいなものですが・・)しまうとどうなんでしょうかねぇ。
裁判員が裁く事件って、殺人とか強盗とか強姦とかの凶悪犯罪だけですしね・・・・。(まあ、50円のガム一個の万引き事件とかで裁判員に呼ばれるのも、勘弁して欲しいですけど(笑))
でも、一応法学部出身としては、裁判員を経験してみたいと思っております(実は政治学科だけどね~(゜▽゜))
さて、タイトルの本の感想ですが。
本の題名には「爆笑」と銘打ってありますが、この「爆笑」は客寄せパンダフレーズですねΣ(゜д゜|||)
実際には、それほど爆笑ネタ系発言は多くありません。
ただ裁判官も、「出世のために数をこなす事ばかり考えている」とか、「社会の常識を知らなさ過ぎる」とか色々批判されてますが、この本に載っている発言からは、「裁判官も一人の人間として苦渋の判断をしてるんだなあ」なんてことが感じられて、興味深いです。
(何年か前に出版されてた、このテの本は、結構裁判官の世間知らずな側面にスポットが当てられたりしていて、裁判官をおちょくるような内容が多かったのですが、やっぱり最近は裁判員制度を意識しているのか、『裁判官も人間なんです』『一生懸命激務をこなしています』といった、裁判官寄りの内容が目立つような気がします)。
この本には100近い裁判官の発言が収められていますが、すべてがいわゆるイレギュラーな発言と言ってしまってよいものでしょう。
量刑には反映させる事が出来なかった被害者の無念の代わりに、最後に重い一言を被告人に投げかけるとか。
あまりに反省の見られないいい加減な被告人に、チクリと嫌味の一つも言ってみたり、とか。
この本に収められているのは、裁判官が「言わずにはいられなかった一言」ばかりなのです。
ですから、「じ~ん」とするものもあれば、「おぉ!ウマイ(笑)」と思わず膝を打ってしまうものまで、結構いろんなタイプの「一言」が収められています。
ちなみに私のお気に入りは
「私があなたに判決するのは三回目です」(爆)
という、福岡地裁 陶山博生裁判官(当時)のお言葉です。
同じ裁判官が同じ被告人に、2回判決をするという例もあまりなさそうなのに、ほぼ三年周期で任地の変わる裁判官が、三回も同じ被告に判決を行うというのは、このケースくらいじゃないでしょうか??
この時、もし私が裁判を傍聴していたら、笑いを堪えるのに必死だったに違いありません・・・Σ(゜д゜|||)
窃盗やクスリ関係の犯罪は、再犯率が高いそうですから、一人の人間が何度も判決を受ける事も珍しくないわけですが、同じ裁判官から三度ともなると・・・・・心証的に「コイツ懲りてねーな」と判断されてしまっても仕方ないですねぇ。
ちなみにコレをいわれた被告人の罪状は、「覚せい剤取締法違反」です(笑)
さて、先にも書きましたが、「爆笑」を求めてこの本を読むと、結構肩透かしを食らうかも知れません。
私が笑ったのは、実は上に上げたもの以外には、本当に数えるほどでした。
でも、どの発言も非常に興味深いものですし、一人一人の裁判官の個性がハッキリ見えて、「笑い」はなくても十分に「面白い」本だったと思います。
ただ、パラパラと立ち読みでもイケちゃう中身なので、買う買わないは、一回本の中身を確認してから判断された方がいいと思います。
(私は、タイトルまたは著者で購入するかどうかを判断してしまうので、基本的に本の中身を一切見ずに買ってしまいます。ので、この本は『さ、読もうっと』と本を開いたときに初めて、レイアウトにがっかりしてしまった部分があることは否定しません・・・←要は字数が少ないんですよ・・・_| ̄|○)
それにしても、有名人って大変ですよね。
私、この本を読んで、ダイエーホークスの小久保選手が脱税で有罪判決受けてた事を思い出しました(笑)
ジュンク堂大阪店の正面入り口の展示コーナーに、「こんなに仕入れて大丈夫ですか!?」と客が心配してしまうほど、大量に置かれていました。
(でも本は売れなかったら普通は返品可だったような気がするので、いいのかな・・・・。ハリポタは書店買取だったというのをわざわざ記憶してるということは)
『裁判官の爆笑お言葉集』 長嶺超輝著 (幻冬社新書)
2007年3月30日第一刷発行で、もう第三刷!!ちなみに第三刷の発行年月日は2007年4月11日です。
二週間経ってないのに・・・・・・((((゜Д゜;))))
著者は司法試験を目指していましたが、7回の不合格を経て断念。今はライター業の傍ら、裁判の傍聴も行っていらっしゃるという方だそうです。
この本は、著者自身が傍聴時に耳にした裁判官の発言だけでなく、新聞などのメディアや、判例関係の雑誌などに掲載されている判例などからも、裁判官の発言を収集しているようです。登場している裁判官は、日本全国の裁判所にまたがっていますので。
それにしても最近は、司法関係の書籍の中でも、特に裁判所・裁判官にまつわるものが多いですね~。
それも当然で、平成21年5月までの間に、裁判員制度が施行されるからですね。
裁判員制度、私は非常に興味があるのですが、実際に選ばれて(半分、『当たって』みたいなものですが・・)しまうとどうなんでしょうかねぇ。
裁判員が裁く事件って、殺人とか強盗とか強姦とかの凶悪犯罪だけですしね・・・・。(まあ、50円のガム一個の万引き事件とかで裁判員に呼ばれるのも、勘弁して欲しいですけど(笑))
でも、一応法学部出身としては、裁判員を経験してみたいと思っております(実は政治学科だけどね~(゜▽゜))
さて、タイトルの本の感想ですが。
本の題名には「爆笑」と銘打ってありますが、この「爆笑」は客寄せパンダフレーズですねΣ(゜д゜|||)
実際には、それほど爆笑ネタ系発言は多くありません。
ただ裁判官も、「出世のために数をこなす事ばかり考えている」とか、「社会の常識を知らなさ過ぎる」とか色々批判されてますが、この本に載っている発言からは、「裁判官も一人の人間として苦渋の判断をしてるんだなあ」なんてことが感じられて、興味深いです。
(何年か前に出版されてた、このテの本は、結構裁判官の世間知らずな側面にスポットが当てられたりしていて、裁判官をおちょくるような内容が多かったのですが、やっぱり最近は裁判員制度を意識しているのか、『裁判官も人間なんです』『一生懸命激務をこなしています』といった、裁判官寄りの内容が目立つような気がします)。
この本には100近い裁判官の発言が収められていますが、すべてがいわゆるイレギュラーな発言と言ってしまってよいものでしょう。
量刑には反映させる事が出来なかった被害者の無念の代わりに、最後に重い一言を被告人に投げかけるとか。
あまりに反省の見られないいい加減な被告人に、チクリと嫌味の一つも言ってみたり、とか。
この本に収められているのは、裁判官が「言わずにはいられなかった一言」ばかりなのです。
ですから、「じ~ん」とするものもあれば、「おぉ!ウマイ(笑)」と思わず膝を打ってしまうものまで、結構いろんなタイプの「一言」が収められています。
ちなみに私のお気に入りは
「私があなたに判決するのは三回目です」(爆)
という、福岡地裁 陶山博生裁判官(当時)のお言葉です。
同じ裁判官が同じ被告人に、2回判決をするという例もあまりなさそうなのに、ほぼ三年周期で任地の変わる裁判官が、三回も同じ被告に判決を行うというのは、このケースくらいじゃないでしょうか??
この時、もし私が裁判を傍聴していたら、笑いを堪えるのに必死だったに違いありません・・・Σ(゜д゜|||)
窃盗やクスリ関係の犯罪は、再犯率が高いそうですから、一人の人間が何度も判決を受ける事も珍しくないわけですが、同じ裁判官から三度ともなると・・・・・心証的に「コイツ懲りてねーな」と判断されてしまっても仕方ないですねぇ。
ちなみにコレをいわれた被告人の罪状は、「覚せい剤取締法違反」です(笑)
さて、先にも書きましたが、「爆笑」を求めてこの本を読むと、結構肩透かしを食らうかも知れません。
私が笑ったのは、実は上に上げたもの以外には、本当に数えるほどでした。
でも、どの発言も非常に興味深いものですし、一人一人の裁判官の個性がハッキリ見えて、「笑い」はなくても十分に「面白い」本だったと思います。
ただ、パラパラと立ち読みでもイケちゃう中身なので、買う買わないは、一回本の中身を確認してから判断された方がいいと思います。
(私は、タイトルまたは著者で購入するかどうかを判断してしまうので、基本的に本の中身を一切見ずに買ってしまいます。ので、この本は『さ、読もうっと』と本を開いたときに初めて、レイアウトにがっかりしてしまった部分があることは否定しません・・・←要は字数が少ないんですよ・・・_| ̄|○)
それにしても、有名人って大変ですよね。
私、この本を読んで、ダイエーホークスの小久保選手が脱税で有罪判決受けてた事を思い出しました(笑)
PR
タワレコで面白いCDを発見しました。
特にバッハの演奏で有名な、カナダのピアニスト、グレン・グールドのCDです。
グレン・グールド(1932-1982)
1956年に発売された初アルバムである、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」のレコードで世界的なピアニストとしての地位を確立しました。ちなみに、廃盤→再発が繰り返される(もちろん売れないものは再発されません)クラシックのレコード(CD)において、グールドのこのアルバムは、発売以来一度も廃盤になったことがない稀な作品です。
グールドは決してスタンダードとはいえない奏法でしたので、評価は賛否両論の真っ二つでしたが、現在では、天才、独創性豊か、躍動感に溢れる、といったプラス評価に概ね落ち着いており、彼の演奏は「人類の文化的傑作」として、地球外生物に向けて発信された宇宙船ボイジャーにも乗せられています。
しかしその一方で、異端児・変人の面も強く、極端な潔癖症で握手を求められても「Don't touch me!」と決して交わそうとしなかったり(これはピアニストの中村紘子さんも自身の経験談として、その著書『ピアニストという蛮族がいる』(文春文庫)にお書きになっています)、極端に座面の低い折りたたみ椅子を好み、どこで演奏するときでも必ず持参していたり、真夏でもコートに手袋とハンチングボウを身に着けていたりと、エピソードには事欠かない人物です。
中でも特異なのは、演奏の一回性への疑問や、コンサート中の客席の音すらも理想の音楽を妨げるものとする考え方から、1964年を最後に、一切のコンサート活動から手を引き、没年まで音楽活動はレコーディングやラジオ・テレビなどのメディア上でしか行わなかったという点でしょう。
ちなみに、一度でも聴衆の喝采を味わってしまうと、それは演奏家にとって麻薬のような忘れられない経験となってしまい、舞台を後にしても、必ず結局は舞台に戻ってきてしまうそうです。グールドはそうならなかった唯一の演奏家だそうで、その点でも彼の特異性は際立っています。
さて、グールドを簡単にではありますが、ご紹介させていただきましたので、冒頭でお話しました「面白いCD」に戻りましょう。
「『グレン・グールドによるバッハ:ゴールドベルグ変奏曲』の再創造~ZENPH RE‐PERFORMANCE」(ソニークラシカル)
このCD、グールドの作品として売られているのですが、何と録音年が2006年なのです!
グールドの没年は1982年なのになぜ!?
実はこれ、ゼンフ・スタジオというアメリカの音楽系のテクノロジー会社が開発した技術による、完全なるグールドの演奏の再現CDなんです。
オリジナルは、先述の56年発売の「ゴールドベルク変奏曲」。
この録音を解析し、演奏とノイズを完全に分離した上、打鍵の強弱やニュアンス(鍵盤を何ミリ押したかとか)、ペダリング、音符の長短、音の大小といった、数値化できる全ての要素をデジタル処理。
このデータをヤマハ製のコンピュータ制御ピアノで演奏したものが、今回発売されたCDというわけです。(今時の自動ピアノはすごいんですね((((゜Д゜;)))))
ま、グールドは必ず歌ったりハミングしたりしながら演奏しているので(バッチリどのCDにも彼の声が一緒に録音されてるので、素人の私でも『これはグールドだ』と分かります(笑))、彼の歌声を恐らくノイズとして分離してしまった(笑)ゼンフ版は、味こそなくなったものの、クリアにピアノ音が聞こえる点で、どちらがいいかは別にして、一度聴いてみて損はないと思います。
さて、驚きはコレだけではありませんでした。
どうも、「ヘッドホンで聴く」という状況に特化した最先端技術によって録音されたCDのようで。(難しい事は良く分かりませんが、バイノーラル録音というらしいです)
タワレコで試聴した瞬間に、あまりのすごい臨場感・迫力に、本当に冗談抜きで背中がスーッと寒くなり、心臓がバクバクいいましたΣ(゜д゜|||)
まさに度肝を抜かれたというか・・・・。音も非常にクリアです。しかも目を閉じると、自分がピアノの前に座っているような感覚で音が聞こえてきます!!
「グールドっていってもコンピュータの演奏なんでしょ~?」と、あまり興味も無かったはずなのに、聴いた後、CD手に取ってました・・・・(⊃д⊂)
そして、もちろん買ってしまいました・・・・
クラシックのCDで3000円って、めっちゃ高いのに・・・・・・_| ̄|○
そして家に着くのも我慢できず、帰りにいそいそと取り出して、自分のCDウォークマンで聴きました。
目指せ「あの感動をもう一度ッ!」です(笑)
最初の一音が始まるまで、本当にドキドキしてました。
が・・・・・・・・・・・
聴こえてきたのは、フツーにクリアなピアノの音でした・・・・・・・・_| ̄|○
タワレコの視聴用ヘッドホンって、あんなにボロくなってるから騙されたけど、実はすごいヘッドホンなんですね(涙)
この音質の落差は、ヘッドホンの性能以外には考えられない・・・。
やっぱり高性能のヘッドホンって、ポータブルタイプでも嵩高いから、私は小さいインナーヘッドホンを愛用してたんですが、 今日買い換えることを決意しました。
音質良くない事は気付いていたんですが、(そして、敢えて見ないフリしてたんですが)、まさかここまでヒドいとはッ(怒)
同じものを聴くと、本当に残酷なほどに違いがよく分かります・・・・。
さて、コンピュータの演奏するグールドのCD。
芸術とは何かという問題について、大きな波紋を呼びそうです。
生身の人間が演奏するから意味があるのか。
それとも、既に他界している演奏家の演奏を、何十年・何百年後でも生音で体験できるという点に価値を置くのか。
また、そうした演奏を、そのオリジナルの演奏家のパフォーマンスとして扱う事が出来るのか。
「客観的には完全なグールドの再演」というこのCD自体の評価も、どうなっていくのか気になるところです。
ちなみに私自身、ゼンフに対する評価姿勢は、全く定まっていません。
でも、生身の人間の生音のほうが好きですけど。ドラマ性がありますしね。
純粋に音楽だけで、音楽を聴くってことは素人には至難の業ですし(笑)←その辺の事は「神童 2」の記事で触れてますので、興味のある方は、是非ご一読下さい_(._.)_
そして、どれほどすごい音質なのか、気になる方はタワレコへGO!(笑)
今ならまだ、試聴コーナーにあるはずです~!!

特にバッハの演奏で有名な、カナダのピアニスト、グレン・グールドのCDです。
グレン・グールド(1932-1982)
1956年に発売された初アルバムである、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」のレコードで世界的なピアニストとしての地位を確立しました。ちなみに、廃盤→再発が繰り返される(もちろん売れないものは再発されません)クラシックのレコード(CD)において、グールドのこのアルバムは、発売以来一度も廃盤になったことがない稀な作品です。
グールドは決してスタンダードとはいえない奏法でしたので、評価は賛否両論の真っ二つでしたが、現在では、天才、独創性豊か、躍動感に溢れる、といったプラス評価に概ね落ち着いており、彼の演奏は「人類の文化的傑作」として、地球外生物に向けて発信された宇宙船ボイジャーにも乗せられています。
しかしその一方で、異端児・変人の面も強く、極端な潔癖症で握手を求められても「Don't touch me!」と決して交わそうとしなかったり(これはピアニストの中村紘子さんも自身の経験談として、その著書『ピアニストという蛮族がいる』(文春文庫)にお書きになっています)、極端に座面の低い折りたたみ椅子を好み、どこで演奏するときでも必ず持参していたり、真夏でもコートに手袋とハンチングボウを身に着けていたりと、エピソードには事欠かない人物です。
中でも特異なのは、演奏の一回性への疑問や、コンサート中の客席の音すらも理想の音楽を妨げるものとする考え方から、1964年を最後に、一切のコンサート活動から手を引き、没年まで音楽活動はレコーディングやラジオ・テレビなどのメディア上でしか行わなかったという点でしょう。
ちなみに、一度でも聴衆の喝采を味わってしまうと、それは演奏家にとって麻薬のような忘れられない経験となってしまい、舞台を後にしても、必ず結局は舞台に戻ってきてしまうそうです。グールドはそうならなかった唯一の演奏家だそうで、その点でも彼の特異性は際立っています。
さて、グールドを簡単にではありますが、ご紹介させていただきましたので、冒頭でお話しました「面白いCD」に戻りましょう。
「『グレン・グールドによるバッハ:ゴールドベルグ変奏曲』の再創造~ZENPH RE‐PERFORMANCE」(ソニークラシカル)
このCD、グールドの作品として売られているのですが、何と録音年が2006年なのです!
グールドの没年は1982年なのになぜ!?
実はこれ、ゼンフ・スタジオというアメリカの音楽系のテクノロジー会社が開発した技術による、完全なるグールドの演奏の再現CDなんです。
オリジナルは、先述の56年発売の「ゴールドベルク変奏曲」。
この録音を解析し、演奏とノイズを完全に分離した上、打鍵の強弱やニュアンス(鍵盤を何ミリ押したかとか)、ペダリング、音符の長短、音の大小といった、数値化できる全ての要素をデジタル処理。
このデータをヤマハ製のコンピュータ制御ピアノで演奏したものが、今回発売されたCDというわけです。(今時の自動ピアノはすごいんですね((((゜Д゜;)))))
ま、グールドは必ず歌ったりハミングしたりしながら演奏しているので(バッチリどのCDにも彼の声が一緒に録音されてるので、素人の私でも『これはグールドだ』と分かります(笑))、彼の歌声を恐らくノイズとして分離してしまった(笑)ゼンフ版は、味こそなくなったものの、クリアにピアノ音が聞こえる点で、どちらがいいかは別にして、一度聴いてみて損はないと思います。
さて、驚きはコレだけではありませんでした。
どうも、「ヘッドホンで聴く」という状況に特化した最先端技術によって録音されたCDのようで。(難しい事は良く分かりませんが、バイノーラル録音というらしいです)
タワレコで試聴した瞬間に、あまりのすごい臨場感・迫力に、本当に冗談抜きで背中がスーッと寒くなり、心臓がバクバクいいましたΣ(゜д゜|||)
まさに度肝を抜かれたというか・・・・。音も非常にクリアです。しかも目を閉じると、自分がピアノの前に座っているような感覚で音が聞こえてきます!!
「グールドっていってもコンピュータの演奏なんでしょ~?」と、あまり興味も無かったはずなのに、聴いた後、CD手に取ってました・・・・(⊃д⊂)
そして、もちろん買ってしまいました・・・・
クラシックのCDで3000円って、めっちゃ高いのに・・・・・・_| ̄|○
そして家に着くのも我慢できず、帰りにいそいそと取り出して、自分のCDウォークマンで聴きました。
目指せ「あの感動をもう一度ッ!」です(笑)
最初の一音が始まるまで、本当にドキドキしてました。
が・・・・・・・・・・・
聴こえてきたのは、フツーにクリアなピアノの音でした・・・・・・・・_| ̄|○
タワレコの視聴用ヘッドホンって、あんなにボロくなってるから騙されたけど、実はすごいヘッドホンなんですね(涙)
この音質の落差は、ヘッドホンの性能以外には考えられない・・・。
やっぱり高性能のヘッドホンって、ポータブルタイプでも嵩高いから、私は小さいインナーヘッドホンを愛用してたんですが、 今日買い換えることを決意しました。
音質良くない事は気付いていたんですが、(そして、敢えて見ないフリしてたんですが)、まさかここまでヒドいとはッ(怒)
同じものを聴くと、本当に残酷なほどに違いがよく分かります・・・・。
さて、コンピュータの演奏するグールドのCD。
芸術とは何かという問題について、大きな波紋を呼びそうです。
生身の人間が演奏するから意味があるのか。
それとも、既に他界している演奏家の演奏を、何十年・何百年後でも生音で体験できるという点に価値を置くのか。
また、そうした演奏を、そのオリジナルの演奏家のパフォーマンスとして扱う事が出来るのか。
「客観的には完全なグールドの再演」というこのCD自体の評価も、どうなっていくのか気になるところです。
ちなみに私自身、ゼンフに対する評価姿勢は、全く定まっていません。
でも、生身の人間の生音のほうが好きですけど。ドラマ性がありますしね。
純粋に音楽だけで、音楽を聴くってことは素人には至難の業ですし(笑)←その辺の事は「神童 2」の記事で触れてますので、興味のある方は、是非ご一読下さい_(._.)_
そして、どれほどすごい音質なのか、気になる方はタワレコへGO!(笑)
今ならまだ、試聴コーナーにあるはずです~!!

またまたスパニョラのマスターからお借りしてしまいました!
北斗の拳の続編である『蒼天の拳』をッ!(笑)
続編は本編を超えられないっていうのが世間の常識ですが。
映画なんか、特にそんな感じしますよね。
(主人公死んだのにどうすんだ?とか思ってたら、突然弟がいたことになってたりするとか・・・ありがちなパターンですね)
小説でも『風と共に去りぬ』の続編の『スカーレット』っていうのが十年ほど前に出ましたが、あれ最悪でした・・・。
心理としては分かります。やっぱスカーレット・オハラとレット・バトラーは結ばれて欲しいですもん。
でも、そうならずにスカーレットがレットを失った後で、その存在の大きさに気付かされて、「あの人を今度こそ本当に手に入れるわッ!」って決意して終わるところに価値があったわけで。だからこそ「明日は明日の風が吹く」の名訳が心に染みるわけで。
本当に引っ付けてどないすんねん(怒)
まあ『スカーレット』は、そもそも本家と作者が違うっていう点で仕方のないところはありますけど。
でもでもね、『風と共に去りぬ』の、あの迫力があって、スケールがでかくて、魅力的な人物がいて、惹きつけられて、格調高くて、まさに「本格小説」!ってイメージを期待して読み始めたのに、
「ただのハーレクインじゃんッ!!!(怒)」
としか言いようのない内容ってあんまりじゃないですか・・・・・・・・・_| ̄|○(←文句言いつつ結局読んでた私)
せめて帯に「作者はハーレクインで活躍しています」とか書いておいて欲しかった・・・・
本当にハーレクイン作家だったのかは覚えてませんが。
(実はハーレクイン系の作家の本って、新潮文庫からでさえ出てたりするんで、読んだ事あります、それなりに。別にキライじゃないですし(笑)←実はコレ、今までで一番勇気のいった告白かもしれません((((゜Д゜;))))
まあ本家ハーレクインはさすがに買ったことないけど;
確かに「ハーレクインなんだ」って分かった上で読んでれば、それなりに面白いと思うんですけどね・・・(汗))
ハイ、ちなみにハーレクインがわからないというアナタ。
色々と作品の系統によって細かく分類があるそうですが(さすがに私も、細かい分類までは把握しておりません(汗))、一応定義すると、
「ヒロインの美女(美女じゃないという設定もありますが、そういう場合には『美人じゃないけど魅力的』な女性ということになっております・・・オイ(--メ))と、金持ちで野性味があって(←ココ重要)、女にもてるくせに見向きもしないというヒーローの男が出会い、今まで本気で女を愛した事のないヒーローが、ヒロインに本気で惚れちゃって(←コレも重要)、幾多の障害をものともせず、ハッピーエンドで結ばれる(←コレを破ると、恐らくハーレクインじゃないです(笑))」
という、こう書いてしまうと身もフタもない、おとぎ話です(笑)
ま、それが面白いんですけどねー。あんまりにも浮世離れしてるんでツッコミどころ満載だし。ベタ過ぎてある意味トレンディードラマの対極いってますので、2時間サスペンスとか昼メロとかが好きな人は面白いと思います。
で、本題の『蒼天の拳』です。
コレ、設定としては『北斗の拳』よりも、ちょっと昔の話です。
今8巻まで読み終えたところなんですが、マスターも
「やっぱり本編は超えられないですねぇ・・・」
とおっしゃっていまして、私もそのつもりで読み始めたのですが。
私このマンガ(今のところは)すごく好きですッ!(笑)
確かに『北斗の拳』のような疾走感とか、パワフルさとか、ハチャメチャさとか、型にはまらない破天荒な部分はなくなっちゃってますし、全体的にキャラ達の個性なんかも薄くはなってるんで,総合点では(最初に受けたインパクトも含め)僅差ですけど『北斗の拳』に軍配が上がるとは思うのです。
ですが、主人公の「霞拳志郎」は、かなり魅力があります(私には)。
話も、ジャンプのときと違って(笑)、もっと長期的な展開を見据えて作られてますし。
(まあ、ジャンプは容赦なく連載打ち切られますから、毎回毎回怒涛のような展開にならざるを得ませんもんね・・・)
『蒼天の拳』は、まだ上海が「魔都」と言われていた頃が舞台になっています。
(一応実在した場所を舞台にしているという点も、『北斗の拳』と大きく異なっている部分です)
その頃の上海って、夢野久作とか澁澤龍彦とかを髣髴とさせる、胡散臭くてアヤしいイメージでいっぱいですが、まさにそんな胡散臭さ全開の中で、上海租界の利権争いが繰り広げられます。
拳志郎はその争いの中、一人の拳法家として「義」のために突き進んでいきます。
この拳志郎、クールなんですが、かなりお茶目な部分があって、とても感情移入しやすいです。
(お前はクラーク・ケントか、って突っ込みたくなるような冴えない眼鏡とかかけてるし・・・(笑))
ケンシロウが、クールを絵に描いたような、ひたすらカッコイイキャラだったのとは対照的です。
他の脇キャラのスケールが、「北斗の拳」とは比べ物にならないくらい小さいのは否定できませんが・・・。
(でも悪役の小物連中は、結構味があります・・・。変人揃いで)
「北斗の拳」では、私は主人公のケンシロウではなく、大人なトキが好きだったのですが、今回は主人公の拳志郎に惚れました!
イメージとしては、『シティーハンター』の冴羽リョウ(←漢字出ません・・・)に近いかな。モチロンあそこまでギャグではありませんが。
ただ、ここまで引っ張っておいてなんですが、これから読んでみようかな、とお考えの方がいらっしゃいましたら、『北斗の拳』の続編というより、その世界観を継いだベツモノと思って読み始めた方が良さそうです(笑)
死兆星とか、ヒロインは死んでる!?とか、「お前はもう死んでいる」のセリフとか、ファンをくすぐるお約束は盛りだくさんなので、そういう意味では十分に続編なんですが。
あ、そういえばアンケート、「北斗の拳」にもう一票入ってましたね!ありがとうございます。なんてグッドタイミング(笑)
まだ投票されてない方、課金されるとか、ヘンなとこに飛ばされちゃうとか、そういった害は一切ありませんので(ま、益もありませんが・・・・(゜▽゜))、ポチっと投票してみてください_(._.)_
さ、続き読まなきゃ(笑)
北斗の拳の続編である『蒼天の拳』をッ!(笑)
続編は本編を超えられないっていうのが世間の常識ですが。
映画なんか、特にそんな感じしますよね。
(主人公死んだのにどうすんだ?とか思ってたら、突然弟がいたことになってたりするとか・・・ありがちなパターンですね)
小説でも『風と共に去りぬ』の続編の『スカーレット』っていうのが十年ほど前に出ましたが、あれ最悪でした・・・。
心理としては分かります。やっぱスカーレット・オハラとレット・バトラーは結ばれて欲しいですもん。
でも、そうならずにスカーレットがレットを失った後で、その存在の大きさに気付かされて、「あの人を今度こそ本当に手に入れるわッ!」って決意して終わるところに価値があったわけで。だからこそ「明日は明日の風が吹く」の名訳が心に染みるわけで。
本当に引っ付けてどないすんねん(怒)
まあ『スカーレット』は、そもそも本家と作者が違うっていう点で仕方のないところはありますけど。
でもでもね、『風と共に去りぬ』の、あの迫力があって、スケールがでかくて、魅力的な人物がいて、惹きつけられて、格調高くて、まさに「本格小説」!ってイメージを期待して読み始めたのに、
「ただのハーレクインじゃんッ!!!(怒)」
としか言いようのない内容ってあんまりじゃないですか・・・・・・・・・_| ̄|○(←文句言いつつ結局読んでた私)
せめて帯に「作者はハーレクインで活躍しています」とか書いておいて欲しかった・・・・
本当にハーレクイン作家だったのかは覚えてませんが。
(実はハーレクイン系の作家の本って、新潮文庫からでさえ出てたりするんで、読んだ事あります、それなりに。別にキライじゃないですし(笑)←実はコレ、今までで一番勇気のいった告白かもしれません((((゜Д゜;))))
まあ本家ハーレクインはさすがに買ったことないけど;
確かに「ハーレクインなんだ」って分かった上で読んでれば、それなりに面白いと思うんですけどね・・・(汗))
ハイ、ちなみにハーレクインがわからないというアナタ。
色々と作品の系統によって細かく分類があるそうですが(さすがに私も、細かい分類までは把握しておりません(汗))、一応定義すると、
「ヒロインの美女(美女じゃないという設定もありますが、そういう場合には『美人じゃないけど魅力的』な女性ということになっております・・・オイ(--メ))と、金持ちで野性味があって(←ココ重要)、女にもてるくせに見向きもしないというヒーローの男が出会い、今まで本気で女を愛した事のないヒーローが、ヒロインに本気で惚れちゃって(←コレも重要)、幾多の障害をものともせず、ハッピーエンドで結ばれる(←コレを破ると、恐らくハーレクインじゃないです(笑))」
という、こう書いてしまうと身もフタもない、おとぎ話です(笑)
ま、それが面白いんですけどねー。あんまりにも浮世離れしてるんでツッコミどころ満載だし。ベタ過ぎてある意味トレンディードラマの対極いってますので、2時間サスペンスとか昼メロとかが好きな人は面白いと思います。
で、本題の『蒼天の拳』です。
コレ、設定としては『北斗の拳』よりも、ちょっと昔の話です。
今8巻まで読み終えたところなんですが、マスターも
「やっぱり本編は超えられないですねぇ・・・」
とおっしゃっていまして、私もそのつもりで読み始めたのですが。
私このマンガ(今のところは)すごく好きですッ!(笑)
確かに『北斗の拳』のような疾走感とか、パワフルさとか、ハチャメチャさとか、型にはまらない破天荒な部分はなくなっちゃってますし、全体的にキャラ達の個性なんかも薄くはなってるんで,総合点では(最初に受けたインパクトも含め)僅差ですけど『北斗の拳』に軍配が上がるとは思うのです。
ですが、主人公の「霞拳志郎」は、かなり魅力があります(私には)。
話も、ジャンプのときと違って(笑)、もっと長期的な展開を見据えて作られてますし。
(まあ、ジャンプは容赦なく連載打ち切られますから、毎回毎回怒涛のような展開にならざるを得ませんもんね・・・)
『蒼天の拳』は、まだ上海が「魔都」と言われていた頃が舞台になっています。
(一応実在した場所を舞台にしているという点も、『北斗の拳』と大きく異なっている部分です)
その頃の上海って、夢野久作とか澁澤龍彦とかを髣髴とさせる、胡散臭くてアヤしいイメージでいっぱいですが、まさにそんな胡散臭さ全開の中で、上海租界の利権争いが繰り広げられます。
拳志郎はその争いの中、一人の拳法家として「義」のために突き進んでいきます。
この拳志郎、クールなんですが、かなりお茶目な部分があって、とても感情移入しやすいです。
(お前はクラーク・ケントか、って突っ込みたくなるような冴えない眼鏡とかかけてるし・・・(笑))
ケンシロウが、クールを絵に描いたような、ひたすらカッコイイキャラだったのとは対照的です。
他の脇キャラのスケールが、「北斗の拳」とは比べ物にならないくらい小さいのは否定できませんが・・・。
(でも悪役の小物連中は、結構味があります・・・。変人揃いで)
「北斗の拳」では、私は主人公のケンシロウではなく、大人なトキが好きだったのですが、今回は主人公の拳志郎に惚れました!
イメージとしては、『シティーハンター』の冴羽リョウ(←漢字出ません・・・)に近いかな。モチロンあそこまでギャグではありませんが。
ただ、ここまで引っ張っておいてなんですが、これから読んでみようかな、とお考えの方がいらっしゃいましたら、『北斗の拳』の続編というより、その世界観を継いだベツモノと思って読み始めた方が良さそうです(笑)
死兆星とか、ヒロインは死んでる!?とか、「お前はもう死んでいる」のセリフとか、ファンをくすぐるお約束は盛りだくさんなので、そういう意味では十分に続編なんですが。
あ、そういえばアンケート、「北斗の拳」にもう一票入ってましたね!ありがとうございます。なんてグッドタイミング(笑)
まだ投票されてない方、課金されるとか、ヘンなとこに飛ばされちゃうとか、そういった害は一切ありませんので(ま、益もありませんが・・・・(゜▽゜))、ポチっと投票してみてください_(._.)_
さ、続き読まなきゃ(笑)
先週末、統一地方選が行われましたね。
そこで怒りがふつふつと・・・・・
石原慎太郎、三選ですか・・・・過半数取ったそうで。
私、個人的にこの方キライなんですよね・・・・・。支持者の方、申し訳ありません。
確かに、まあリーダーシップを発揮されて、特に財政面に関しては実績も上げられているようですし、現職であることに加え、圧倒的な知名度もあるわけですから、三選は確実だろうとは思っていましたが。
実際に三選となると・・・・・・・
確か「日本を東京から変える」といったようなスローガンを掲げて都政に携わっていらっしゃるかと記憶しておりますが、何か「東京さえよけりゃいいんかい!」とか、「首都首都言い過ぎ!」とか、とにかく腹立たしい。ひっきりなしの差別的発言も聞き苦しいし(個人が内心でそう思ってしまうことは、善悪はどうであれ自由だと思いますが、公人の立場で発言するのはどうかと思います)。
とまあ、のっけからぶちまけてますが(汗)、なぜこんなに腹立たしいのかというと、彼の強引なトップダウン方式のおかげで、まもなくわが母校が消滅するからなんですねぇ・・・・。
こう書くと、もうお分かりの方も多いかと思いますが。私の母校は後一年で消滅する「東京都立大学」です・・・・。恐らく今の4年生が最後の都立大生だと思いますので、彼らが卒業したら、完全に「首都大学東京」になってしまうのです。
校門に嵌っている「東京都立大学」のプレートも、来年の今頃には取り外されているんでしょうね・・・
(現時点でも、プレートの夜間のライトアップは、首都大のほうだけで、都立大は照らされてさえいないそうですッ!)
今は大学改革が盛んですし、より現状に応じた改組などは行われて当然だと思います。国公立大といえど、採算を度外視するわけにはいかなくなってしまった訳ですし。
(だからといって、法学も文学も経済学も科学も工学もすべて同じ学部扱いってのは、正直どうなんだと思いますが。以上は全て、都市教養学部 都市教養学科ということになってます、首都大学東京では・・・)
でもね、いくら小さい大学とはいえ、東京府立高等学校時代から数えれば、約80年の歴史があるわけですよ(都立大になってからは約60年)。キャンパスは一度移転しているとはいえ、それなりの数の卒業生がいるわけで、教授陣だって錚々たるものだったと思います。(あんまり関係ないけど、『国家の品格』で有名な藤原正彦お茶の水女子大教授も、大学教員スタートは都立大だったんですね~)。
それを完全に別の大学にしてしまうっていうのはどうなんですかね?
そりゃ、石原さんは「まったく新しい大学を作る」という考えの下、その通りに実行されたんですから大満足でしょう。
でも、一から作ったわけではなく、既存の大学を改組したわけですから、それまでの伝統を尊重するくらいの事、できなかったんですかね、と思わずにいられません。
特に一番腹立たしいのは、新大学の名称を公募しておいて、最多が「東京都立大学」だったのに、それを強引に独断で「首都大学東京」に決定してしまった事。
名前の変更だけでも許しがたいのに、「大学」の後に「東京」って何ですか???
大学名を何だと思ってるんでしょう!!!
「~大学」の形の名称を持たない日本唯一の大学って、そんなものが自慢になるかーーーーーーーーッ!!
と、今日は名称変更に絞って怒りをぶつけてますが、改組の過程だってひどいもんです。あれじゃ独裁者です。そのトップダウン方式を、都行政自体にもっともっと納得の行く形で反映してくれませんかね?福祉政策を極端に絞る前に、もう少しメスを入れるべきところ、あるんじゃないですか?
その独裁に反発して、他大学へ移ったり、教員を辞められた先生は、本当にたくさんいます。
私のゼミの先生も、北の方の大学へ移ってしまわれました。
何から何まで、「都立大学」の頃とは変わってしまいました。
いやらしい話、偏差値も都立大の時代からは10以上、下がってます(笑)
あんなヘンな名前の大学、行きたくないって思ってる子は多いですよ・・・・。実感として。
母校が奪われたって感情、石原さんには理解できないんでしょうけどね。
都政を預かる人間なんだから、都を構成しているのも最小単位は感情を持った個人個人なんだっていう点を大切にして欲しいと思います。(私は都民じゃありませんが)
以下は石原さん以外の一橋大学OB・OGおよび、在学生の皆さんには何の恨みもありませんが、敢えて言わせていただきます。
一橋大学も
「商科大学国立」
に改称したらどうですか!?
「国立」は「こくりつ」とも、大学所在地の「くにたち」とも読めて、一粒で二度美味しいですよ???
【お詫びとお願い】
ここで政治的なことを書くつもりはなかったんですが、石原都知事三選に怒りが再燃して書いてしまいました。内容的には政治色は抑えたつもりです・・・。不快になった方がいらっしゃったら、申し訳ありません。文体がエキサイトしている事共々、御理解御了承の程よろしくお願いいたします_(._.)_
そこで怒りがふつふつと・・・・・
石原慎太郎、三選ですか・・・・過半数取ったそうで。
私、個人的にこの方キライなんですよね・・・・・。支持者の方、申し訳ありません。
確かに、まあリーダーシップを発揮されて、特に財政面に関しては実績も上げられているようですし、現職であることに加え、圧倒的な知名度もあるわけですから、三選は確実だろうとは思っていましたが。
実際に三選となると・・・・・・・
確か「日本を東京から変える」といったようなスローガンを掲げて都政に携わっていらっしゃるかと記憶しておりますが、何か「東京さえよけりゃいいんかい!」とか、「首都首都言い過ぎ!」とか、とにかく腹立たしい。ひっきりなしの差別的発言も聞き苦しいし(個人が内心でそう思ってしまうことは、善悪はどうであれ自由だと思いますが、公人の立場で発言するのはどうかと思います)。
とまあ、のっけからぶちまけてますが(汗)、なぜこんなに腹立たしいのかというと、彼の強引なトップダウン方式のおかげで、まもなくわが母校が消滅するからなんですねぇ・・・・。
こう書くと、もうお分かりの方も多いかと思いますが。私の母校は後一年で消滅する「東京都立大学」です・・・・。恐らく今の4年生が最後の都立大生だと思いますので、彼らが卒業したら、完全に「首都大学東京」になってしまうのです。
校門に嵌っている「東京都立大学」のプレートも、来年の今頃には取り外されているんでしょうね・・・
(現時点でも、プレートの夜間のライトアップは、首都大のほうだけで、都立大は照らされてさえいないそうですッ!)
今は大学改革が盛んですし、より現状に応じた改組などは行われて当然だと思います。国公立大といえど、採算を度外視するわけにはいかなくなってしまった訳ですし。
(だからといって、法学も文学も経済学も科学も工学もすべて同じ学部扱いってのは、正直どうなんだと思いますが。以上は全て、都市教養学部 都市教養学科ということになってます、首都大学東京では・・・)
でもね、いくら小さい大学とはいえ、東京府立高等学校時代から数えれば、約80年の歴史があるわけですよ(都立大になってからは約60年)。キャンパスは一度移転しているとはいえ、それなりの数の卒業生がいるわけで、教授陣だって錚々たるものだったと思います。(あんまり関係ないけど、『国家の品格』で有名な藤原正彦お茶の水女子大教授も、大学教員スタートは都立大だったんですね~)。
それを完全に別の大学にしてしまうっていうのはどうなんですかね?
そりゃ、石原さんは「まったく新しい大学を作る」という考えの下、その通りに実行されたんですから大満足でしょう。
でも、一から作ったわけではなく、既存の大学を改組したわけですから、それまでの伝統を尊重するくらいの事、できなかったんですかね、と思わずにいられません。
特に一番腹立たしいのは、新大学の名称を公募しておいて、最多が「東京都立大学」だったのに、それを強引に独断で「首都大学東京」に決定してしまった事。
名前の変更だけでも許しがたいのに、「大学」の後に「東京」って何ですか???
大学名を何だと思ってるんでしょう!!!
「~大学」の形の名称を持たない日本唯一の大学って、そんなものが自慢になるかーーーーーーーーッ!!
と、今日は名称変更に絞って怒りをぶつけてますが、改組の過程だってひどいもんです。あれじゃ独裁者です。そのトップダウン方式を、都行政自体にもっともっと納得の行く形で反映してくれませんかね?福祉政策を極端に絞る前に、もう少しメスを入れるべきところ、あるんじゃないですか?
その独裁に反発して、他大学へ移ったり、教員を辞められた先生は、本当にたくさんいます。
私のゼミの先生も、北の方の大学へ移ってしまわれました。
何から何まで、「都立大学」の頃とは変わってしまいました。
いやらしい話、偏差値も都立大の時代からは10以上、下がってます(笑)
あんなヘンな名前の大学、行きたくないって思ってる子は多いですよ・・・・。実感として。
母校が奪われたって感情、石原さんには理解できないんでしょうけどね。
都政を預かる人間なんだから、都を構成しているのも最小単位は感情を持った個人個人なんだっていう点を大切にして欲しいと思います。(私は都民じゃありませんが)
以下は石原さん以外の一橋大学OB・OGおよび、在学生の皆さんには何の恨みもありませんが、敢えて言わせていただきます。
一橋大学も
「商科大学国立」
に改称したらどうですか!?
「国立」は「こくりつ」とも、大学所在地の「くにたち」とも読めて、一粒で二度美味しいですよ???
【お詫びとお願い】
ここで政治的なことを書くつもりはなかったんですが、石原都知事三選に怒りが再燃して書いてしまいました。内容的には政治色は抑えたつもりです・・・。不快になった方がいらっしゃったら、申し訳ありません。文体がエキサイトしている事共々、御理解御了承の程よろしくお願いいたします_(._.)_
昨日(日が変わったので一昨日ですが・・・)は体調がすぐれず、ほぼ一日安静にしてました。
が、寝てると暇なので、結局昨日今日で5冊の本を読んでしまいました。
1.『ゆらぎの森のシエラ』 菅浩江著 (創元SF文庫)
2.『これは王国のかぎ』 荻原規子著 (中公文庫)
3.『すばらしき愚民社会』 小谷野敦著 (新潮文庫)
4.『東京検死官』 山崎光夫著 (講談社文庫)
5.『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎著 (創元推理文庫)
はい、相変わらずジャンルバラバラです(笑)
1・2・5が小説、3がエッセイ、4がドキュメンタリーですね。
1は先日もご紹介した、菅浩江さんの著作です。これはほぼ20年前に刊行された作品の再販です。バイオSFのようなファンタジーのような、ジャンルの境界を飛び出した内容になっているのが、毎回斬新な作風の菅さんらしい作品です。
まあ、やはり古臭さや、設定が読めてしまう展開など、『博物館惑星』に比べれば見劣りはするように思いますが、20年前の作品である事を踏まえると、仕方のないことなのかもしれません。この20年の間に、似たような作品がたくさん刊行されているでしょうから、それらを読みなれてしまうと、やはり昔のものに目新しさを感じられなくなってしまいますしね・・・。
2は、もともと児童文学者として有名な荻原規子さんの作品です。アラビアンナイトを下敷きにしたファンタジーです。章立ても、管弦楽曲であるリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」にちなんだものになっており、執筆中オーマンディー指揮によるフィラデルフィア・フィルのCDをずっと聴いていたそうです。
ちなみに、アラビアンナイト(千夜一夜物語)とは、王妃に不倫された王が徹底的な女性嫌いになり、その怒りから、毎晩王宮に迎え入れた女性の首を落とす、という誓いを立てました(そんな誓いたてるなよ・・・って感じですが)。国中の女性が戦々恐々とする中、大臣の娘が王の下へ向かう事を志願し、毎晩毎晩面白おかしい物語を語ります。続きが聞きたい王は、彼女を殺す事が出来ず、もう一晩、もう一晩、と延ばすうちにとうとう千日が経過し、王の怒りも解けたという外枠を持っています。この、娘が語った話の一つ一つが、例えば「アラジンと魔法のランプ」であったり、「アリババと40人の盗賊」だったりするわけです。そして、この大臣の娘の名前こそが「シェエラザード」なのです。
内容は・・・コミカルでテンポもよく面白いのですが、対象年齢はやはり、主人公と同世代くらい、つまり中学生辺りを想定してると思います(⊃д⊂)
ま、でもハリポタだってゲド戦記だって、児童文学ですしね・・・。一応自己弁護。
3は、私の好きな著述家の一人、小谷野先生のエッセイです。
この方の一番のベストセラーは『もてない男』(ちくま新書)だと思うのですが、この『すばらしき~』も、相変わらず過激で面白かったです。
この小谷野さんのすばらしい点は、
1.とにかくカバーしている範囲が広い。
時代は万葉から現代まで、またジャンルも文学はもちろん、社会学や歴史、政治・哲学思想に芸能など多岐にわたります。この人の読書量が想像できないほどです。しかも芸能も、歌舞伎や落語といった古典から、最近のマンガや映画まで、本当に幅広いです。
2.真摯な議論の姿勢がある。
反論にもきちんと応え、また他者への疑問もキチンと当人へぶつける。著作の中で反論を行う際にも、その出典や論拠を常に明確にしている(学術論文でもないのに、ここまで出典を明確にしている人は、ほとんどいないと思います)、といった誠実であろうという明確な意思が見えて、読んでいても説得力が感じられます。
ただやっぱり、議論を吹っかけるのがお好きなようで、というか議論こそが学者として重要だ、議論をしないなんて只のバカだ、というポリシーを持っておられるようなので、必然的に方々の学者・評論家と衝突してらっしゃいます・・・。まあ、一般人の私は、そういうのを読むのが面白いわけですが(笑)
(ちなみに、小谷野さんの著作で特に槍玉に上げられているのは、サブカルチャー論で有名な宮台真司さんと、フェミニズム論の上野千鶴子さんです(;゜ロ゜))
もし仮に、入試問題で、この小谷野さんの文章を出題する大学があったなら、ある意味それだけでその大学には入る価値があるかもしれません((((゜Д゜;))))・・・多分小谷野さんの文章が使われることはほぼないと思いますけど(汗)
特にこの本の第10章「禁煙ファシズムを斬る」、は喫煙者必読です(笑)
ただ、こんなに(喫煙者の側からすると)胸の空くような快論を述べてくれているのに、小谷野さんはいつもこの調子なので、結果いつものごとくマスコミからは黙殺・・・・・・・・・・・・・。過激・極論過ぎるのも困り者です(笑)
4は、昭和20年代から40年代にかけての約20年間を、「検死官」として過ごした、一警察官の記録です。普通は、検死官というのは嫌われる職なので、2年間検死官を勤めた後は署長になれる、というご褒美がつくほどなのだそうですが、この本の主役である芹沢さんは、まさに「検死の神」として、検死官をほぼ全うされた方です。
芹沢さんは、検死は手袋をせず「素手」(現代は手袋が義務付けられてます)、3000体もの変死体を検死した経験から、他殺か自殺かが即座に分かる、などなど、言ってみれば「伝説の検死官」でして、歴史的な事件の検死も手がけておられる、非常に稀有な警察官でした。(2005年に他界されてます)。ちなみに医師でも、その他医療関係者でもなく、あくまで「一警察官」です。
芹沢さんは、安保反対運動の最中に事故死した、東大生の樺(かんば)美智子さんや、力道山などの検死にも立ち会っておられます。
この本のもう一つの魅力は、「病死」と診断され、事件性はないものとして処理された男性の死について、芹沢さんが興味深い推理を行っている点です。
もちろん、芹沢さんはこの件に関して、検死は行っていませんし(というか、下記の事情により、この男性の検死自体が行われていません。)、そもそもこの件は、芹沢さんの検死眼を試す(!?)ために、筆者が持ち込んだ事例です。
この男性の死は、病死に間違いないだろうとの判断で、かかりつけの医師が、その場で死亡診断書を書いたのですが、その医師自身も実のところ引っ掛かりを感じていました。
扇風機の強風を泥酔したまま一晩中浴び続け、体温が奪われ、結果として急性心不全で亡くなったという経緯だったのですが、妻や同居していた妻の妹、また現場の様子にもいくつかの疑問点がありました。(普通は、そんな状態で眠り込んでいても、寒くなって目を覚ますはずということもありますしね。)
ただ、死亡した男性は、心臓が弱かったので、眠り込んで扇風機の風を直接浴び続けていれば、死に至る事も十分に考えられたため、結果的に医師は深くは疑わず、死亡診断書を発行します。
死亡診断書があれば、死体は解剖に付されることはありません。死因がハッキリしているという事で、解剖の必要性がなくなるからです。
ということで、この男性の死は病死として処理されたわけですが、芹沢さんはズバリ「他殺でしょう」、と言い切りました。
その論理の鮮やかな事!推理小説のような世界が、現実にもあるんだなぁと思わずにはいられませんでした。まさに安楽椅子探偵です。
(しかし、という事は完全犯罪だよな・・・・Σ(゜д゜|||)こうして、闇に埋もれていく犯罪って、私たちが想像している以上に多いのかもしれません((((゜Д゜;)))))
ねたばらしは出来る限りしないというのが、このブログにおけるマイルールですので(笑)、ここまで書いてなんですが、気になる方は是非ご一読下さい。オススメです。(十分ねたばらししてるじゃん!と思われる部分もあるかもしれませんが、ねたばらしの程度も自己ルールです、申し訳ない_(._.)_)
最後の5。最近ベストセラー連発の伊坂幸太郎さんの4作目の長編です。伊坂さんは東北大の法学部出身でだそうで。東北大法学部にまったく縁がないわけではないので、(といっても無きに等しい縁ですが)、ひょっとしたら一回くらいは会ったことがあるかも・・・という私の一方的な思い込みもあって(笑)、最近お気に入りの作家さんの一人です。
この方は、それぞれに謎が散りばめられた複数のエピソードを、見事に収斂させていくというスタイルが得意ですね。このバラバラのエピソードがどうやって絡み合っていくんだろう、とかこっちのエピソードで出てきたこの人、もう一つのエピソードでは誰に当たるんだろう、とか考える楽しみもあって、それが当たっていれば「やったね」と思うし、外れていても「なるほどねー」とちゃんと納得できるので、本当によく練られている、密度の濃い作品を書かれていると思います。
本作は帯の惹句「神様を閉じ込めに行かないか?」が、見事に作品全体を表わしていて、ラストの締め方も(まあ、この惹句を知っている以上、予想通りなんですが)「これしかないよな!」という巧さで、気持ちよく読了しました。
誰が読んでも面白いし、共感できるという点で「最大公約数的」な小説なのかもしれませんが、伊坂幸太郎さんは、ベタとか陳腐といったところがなく、常に「伊坂ワールド」全開なので、これからの新作も楽しみです。
ただ私は、今のところ伊坂作品では、『重力ピエロ』(新潮文庫)がベストだと思っています(笑)
が、寝てると暇なので、結局昨日今日で5冊の本を読んでしまいました。
1.『ゆらぎの森のシエラ』 菅浩江著 (創元SF文庫)
2.『これは王国のかぎ』 荻原規子著 (中公文庫)
3.『すばらしき愚民社会』 小谷野敦著 (新潮文庫)
4.『東京検死官』 山崎光夫著 (講談社文庫)
5.『アヒルと鴨のコインロッカー』 伊坂幸太郎著 (創元推理文庫)
はい、相変わらずジャンルバラバラです(笑)
1・2・5が小説、3がエッセイ、4がドキュメンタリーですね。
1は先日もご紹介した、菅浩江さんの著作です。これはほぼ20年前に刊行された作品の再販です。バイオSFのようなファンタジーのような、ジャンルの境界を飛び出した内容になっているのが、毎回斬新な作風の菅さんらしい作品です。
まあ、やはり古臭さや、設定が読めてしまう展開など、『博物館惑星』に比べれば見劣りはするように思いますが、20年前の作品である事を踏まえると、仕方のないことなのかもしれません。この20年の間に、似たような作品がたくさん刊行されているでしょうから、それらを読みなれてしまうと、やはり昔のものに目新しさを感じられなくなってしまいますしね・・・。
2は、もともと児童文学者として有名な荻原規子さんの作品です。アラビアンナイトを下敷きにしたファンタジーです。章立ても、管弦楽曲であるリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」にちなんだものになっており、執筆中オーマンディー指揮によるフィラデルフィア・フィルのCDをずっと聴いていたそうです。
ちなみに、アラビアンナイト(千夜一夜物語)とは、王妃に不倫された王が徹底的な女性嫌いになり、その怒りから、毎晩王宮に迎え入れた女性の首を落とす、という誓いを立てました(そんな誓いたてるなよ・・・って感じですが)。国中の女性が戦々恐々とする中、大臣の娘が王の下へ向かう事を志願し、毎晩毎晩面白おかしい物語を語ります。続きが聞きたい王は、彼女を殺す事が出来ず、もう一晩、もう一晩、と延ばすうちにとうとう千日が経過し、王の怒りも解けたという外枠を持っています。この、娘が語った話の一つ一つが、例えば「アラジンと魔法のランプ」であったり、「アリババと40人の盗賊」だったりするわけです。そして、この大臣の娘の名前こそが「シェエラザード」なのです。
内容は・・・コミカルでテンポもよく面白いのですが、対象年齢はやはり、主人公と同世代くらい、つまり中学生辺りを想定してると思います(⊃д⊂)
ま、でもハリポタだってゲド戦記だって、児童文学ですしね・・・。一応自己弁護。
3は、私の好きな著述家の一人、小谷野先生のエッセイです。
この方の一番のベストセラーは『もてない男』(ちくま新書)だと思うのですが、この『すばらしき~』も、相変わらず過激で面白かったです。
この小谷野さんのすばらしい点は、
1.とにかくカバーしている範囲が広い。
時代は万葉から現代まで、またジャンルも文学はもちろん、社会学や歴史、政治・哲学思想に芸能など多岐にわたります。この人の読書量が想像できないほどです。しかも芸能も、歌舞伎や落語といった古典から、最近のマンガや映画まで、本当に幅広いです。
2.真摯な議論の姿勢がある。
反論にもきちんと応え、また他者への疑問もキチンと当人へぶつける。著作の中で反論を行う際にも、その出典や論拠を常に明確にしている(学術論文でもないのに、ここまで出典を明確にしている人は、ほとんどいないと思います)、といった誠実であろうという明確な意思が見えて、読んでいても説得力が感じられます。
ただやっぱり、議論を吹っかけるのがお好きなようで、というか議論こそが学者として重要だ、議論をしないなんて只のバカだ、というポリシーを持っておられるようなので、必然的に方々の学者・評論家と衝突してらっしゃいます・・・。まあ、一般人の私は、そういうのを読むのが面白いわけですが(笑)
(ちなみに、小谷野さんの著作で特に槍玉に上げられているのは、サブカルチャー論で有名な宮台真司さんと、フェミニズム論の上野千鶴子さんです(;゜ロ゜))
もし仮に、入試問題で、この小谷野さんの文章を出題する大学があったなら、ある意味それだけでその大学には入る価値があるかもしれません((((゜Д゜;))))・・・多分小谷野さんの文章が使われることはほぼないと思いますけど(汗)
特にこの本の第10章「禁煙ファシズムを斬る」、は喫煙者必読です(笑)
ただ、こんなに(喫煙者の側からすると)胸の空くような快論を述べてくれているのに、小谷野さんはいつもこの調子なので、結果いつものごとくマスコミからは黙殺・・・・・・・・・・・・・。過激・極論過ぎるのも困り者です(笑)
4は、昭和20年代から40年代にかけての約20年間を、「検死官」として過ごした、一警察官の記録です。普通は、検死官というのは嫌われる職なので、2年間検死官を勤めた後は署長になれる、というご褒美がつくほどなのだそうですが、この本の主役である芹沢さんは、まさに「検死の神」として、検死官をほぼ全うされた方です。
芹沢さんは、検死は手袋をせず「素手」(現代は手袋が義務付けられてます)、3000体もの変死体を検死した経験から、他殺か自殺かが即座に分かる、などなど、言ってみれば「伝説の検死官」でして、歴史的な事件の検死も手がけておられる、非常に稀有な警察官でした。(2005年に他界されてます)。ちなみに医師でも、その他医療関係者でもなく、あくまで「一警察官」です。
芹沢さんは、安保反対運動の最中に事故死した、東大生の樺(かんば)美智子さんや、力道山などの検死にも立ち会っておられます。
この本のもう一つの魅力は、「病死」と診断され、事件性はないものとして処理された男性の死について、芹沢さんが興味深い推理を行っている点です。
もちろん、芹沢さんはこの件に関して、検死は行っていませんし(というか、下記の事情により、この男性の検死自体が行われていません。)、そもそもこの件は、芹沢さんの検死眼を試す(!?)ために、筆者が持ち込んだ事例です。
この男性の死は、病死に間違いないだろうとの判断で、かかりつけの医師が、その場で死亡診断書を書いたのですが、その医師自身も実のところ引っ掛かりを感じていました。
扇風機の強風を泥酔したまま一晩中浴び続け、体温が奪われ、結果として急性心不全で亡くなったという経緯だったのですが、妻や同居していた妻の妹、また現場の様子にもいくつかの疑問点がありました。(普通は、そんな状態で眠り込んでいても、寒くなって目を覚ますはずということもありますしね。)
ただ、死亡した男性は、心臓が弱かったので、眠り込んで扇風機の風を直接浴び続けていれば、死に至る事も十分に考えられたため、結果的に医師は深くは疑わず、死亡診断書を発行します。
死亡診断書があれば、死体は解剖に付されることはありません。死因がハッキリしているという事で、解剖の必要性がなくなるからです。
ということで、この男性の死は病死として処理されたわけですが、芹沢さんはズバリ「他殺でしょう」、と言い切りました。
その論理の鮮やかな事!推理小説のような世界が、現実にもあるんだなぁと思わずにはいられませんでした。まさに安楽椅子探偵です。
(しかし、という事は完全犯罪だよな・・・・Σ(゜д゜|||)こうして、闇に埋もれていく犯罪って、私たちが想像している以上に多いのかもしれません((((゜Д゜;)))))
ねたばらしは出来る限りしないというのが、このブログにおけるマイルールですので(笑)、ここまで書いてなんですが、気になる方は是非ご一読下さい。オススメです。(十分ねたばらししてるじゃん!と思われる部分もあるかもしれませんが、ねたばらしの程度も自己ルールです、申し訳ない_(._.)_)
最後の5。最近ベストセラー連発の伊坂幸太郎さんの4作目の長編です。伊坂さんは東北大の法学部出身でだそうで。東北大法学部にまったく縁がないわけではないので、(といっても無きに等しい縁ですが)、ひょっとしたら一回くらいは会ったことがあるかも・・・という私の一方的な思い込みもあって(笑)、最近お気に入りの作家さんの一人です。
この方は、それぞれに謎が散りばめられた複数のエピソードを、見事に収斂させていくというスタイルが得意ですね。このバラバラのエピソードがどうやって絡み合っていくんだろう、とかこっちのエピソードで出てきたこの人、もう一つのエピソードでは誰に当たるんだろう、とか考える楽しみもあって、それが当たっていれば「やったね」と思うし、外れていても「なるほどねー」とちゃんと納得できるので、本当によく練られている、密度の濃い作品を書かれていると思います。
本作は帯の惹句「神様を閉じ込めに行かないか?」が、見事に作品全体を表わしていて、ラストの締め方も(まあ、この惹句を知っている以上、予想通りなんですが)「これしかないよな!」という巧さで、気持ちよく読了しました。
誰が読んでも面白いし、共感できるという点で「最大公約数的」な小説なのかもしれませんが、伊坂幸太郎さんは、ベタとか陳腐といったところがなく、常に「伊坂ワールド」全開なので、これからの新作も楽しみです。
ただ私は、今のところ伊坂作品では、『重力ピエロ』(新潮文庫)がベストだと思っています(笑)