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2025/07/29 21:47 |
ファンタジー好きですか?

俗に「世界三大ファンタジー」という場合、大体は
・トールキン『指輪物語』
・ルイス『ナルニア国物語』
・ル=グゥィン『ゲド戦記』
の3作品が挙げられているように思います。

私は上記のいずれも読みましたが、それぞれの印象を端的に表現するなら

・『指輪物語』=創世神話
・『ナルニア国物語』=子供のためのキリスト教解説本
・『ゲド戦記』=人生哲学書

というところでしょうか。独断と偏見に満ちている点はご了承下さい・・・。

この中で一番新しい作品は『ゲド戦記』で、新しいとは言っても完結していた筈なのですが、数年前に驚きの最新作が発表されました。(さすがに、これ以上は出ないと思いますが)。著者も唯一の女性かつアメリカ人(しかもまだ現役)ということで、イギリス人男性の手による残りの二作とは、やや毛色が異なっているかもしれません。

「アースシー」という架空の世界を舞台に、ハイタカという一人の偉大な魔法使いの波乱に満ちた人生が、幼年期・青年期・壮年期に分けて語られています。(といっても、ハイタカが完全な主人公といえるのは、本編全五巻のうちの、最初の一冊だけですが)。
この作品の特徴は、ハイタカを超人的なヒーローとして描くのではなく、悩みや苦しみといったハイタカの内面に焦点を当て、彼を一人の人間として描き出している点にあります。そういう点では、3作のうち最も小説的であり、最も人間的なテーマを持っているといえると思います。

『ナルニア国物語』は、最も幼い年齢層向けに書かれたものです。
この作品が映画化された時のCMに、一頭のライオンが登場していたのをご記憶ではないでしょうか。このアスランというライオンこそが、キリストの仮託であり、キリストさながらに殺され、その後その死から復活を果たします。
3作品の中では、唯一の「異世界への迷い込み」系ですね(笑)
衣装タンスが、異世界への入り口という設定は、この『ナルニア』が元祖です。
前述のように、キリスト教思想が非常に色濃く出ていますので、人によっては完結部(最終巻の第7巻のラストですね)に、ちょっと受け入れがたいところがあるかもしれません・・・・実は私がそうでした_| ̄|○

ただ、細部まで徹底的に描写するスタイルをとる『指輪物語』とは対照的に、行間を読ませるタイプの作品なので、想像を膨らませながら読めるという楽しみにあふれています。


さて、上記の3作品のうち、私のお気に入りは、やはりファンタジーの祖とも言われる『指輪物語』です。

エルフやドワーフといった異種族や、貴重な金属の「ミスリル」、そして力を秘めた「指輪」と、それをめぐる争い・・・。RPGゲームまで含めた、現代のファンタジーの原型の全てが、この作品に集約されているといっても過言ではありません。
(ちなみに、この『指輪物語』の世界観を受け継いで創作されたファンタジー群を、特に「ハイ・ファンタジー」と呼ぶこともあります)

固有の物語を持たなかったイギリスでは、まだ世に出て60年にも満たないこの作品が、古事記やギリシア・ローマ神話のような創世神話としての役割を担っているほどです。
『指輪物語』の主人公ともいえる小人族の「ホビット」が、作者トールキンの作り出した存在であるという事を知らない人が(つまりホビットは古の伝承の中にもともと存在しているものだと思っている人が)イギリス人の中にさえ大勢いる、という事実が、この作品を象徴していると思われます。

(なお、エルフやドワーフなどはトールキンの創作ではありませんが、現在のような「エルフ=尖った耳と、優れた知力・体力を持つ美しい容姿の不死の種族」、「ドワーフ=小柄だが頑強な体躯を持ち、地底生活を好み、鍛冶などの優れた技術を持つ種族」といったイメージは、『指輪物語』によって定着したものです)

しかしトールキンの素晴しさは、実は『指輪物語』を完成した事だけではありません。
というか、『指輪物語』は、トールキンの残した業績の一部に過ぎないのです

トールキンは「祖国イギリスのために」完全な神話体系を作り出す事を夢見て、実際にそれをほぼ完成させました。
トールキンの創造した世界は実に膨大かつ緻密なもので、順を追って述べていくと、それこそとてつもない量になってしまうので割愛しますが(汗)、数万年にも及ぶ「想像上の時代」の歴史が、現代へと続く実際の歴史と完全にリンクする形で作り上げられました。

また、トールキンの創作は、歴史だけではなく、暦や地理、そして言語にまで及びました。
映画中では、リヴ・タイラーなどが演じていたエルフのセリフに、一部英語の字幕がつけられていましたが、その部分がトールキンの創作した「エルフ語」によるセリフでした。

『指輪物語』は、トールキンの創作した一連の歴史の流れの中では、最も新しい時代に当たり、『指輪物語』の終焉は同時に、現代へと連なる人間の時代の幕開にもなっています

『指輪物語』は、私が読んだときには、16~7年前のことですから、まだ全6冊の旧版しかありませんでした。
今売られている新版が全10冊である事からも、旧版の活字がどれほど小さく、また1ページにどれほどの字が詰めこまれていたかが想像できると思います・・・。
視力自慢の私でさえ、「米粒よりちっさい活字ってどうよ・・・_| ̄|○」と、こぼさずにはいられませんでした。
私が読んだ本の中で、最も活字の小さかったものが、『指輪物語』旧版であり、この記録は今後も破られる事はないと思います。

が、その困難をおしてなお、一気に読ませてしまう展開は「面白い」の一言に尽きます。
世界観が確立されているからこそ、想像の世界に揺るぎないリアリティーが与えられるという、ファンタジーの大原則が完璧に体現されている作品です。

ここ数年は、ハリー・ポッターの影響などもあり、空前のファンタジーブームです。
もちろん私も、ハリポタやエラゴンなど、最新のファンタジーをたくさん読んでいます。
ハリポタやエラゴンのほうが、確かに起伏に富んだドラマティックな物語であるといえるでしょう。間違いなく面白いですし。
しかし、ファンタジー草創期の「古典的名作」は、やはり「世界の完成度」が違います
ファンタジーだから「何でもアリ」という、軽薄なところなどもちろんありません。
(日本のファンタジーにありがちですが、『魔法で何でもできる』とか言われると、正直その時点で萎えますよね・・・・)
ファンタジーを敬遠しがちな方は多いと思いますが、特に『指輪物語』は是非一度、お手にとってみて下さい。

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2007/03/29 04:02 | Comments(1) | TrackBack() |
カットモデルへの道

【以下は私の体験ですが、土屋賢二お茶の水女子大教授のユーモアエッセイのパロディです。】

二週間ほど前、一人の淑女(私のことだ)が、駅前で若者からビラを受け取った。
ビラは美容院のものだった。ちょうど髪を切りたいと思っていたところだ。
私はビラを一瞥し、美容院周辺の地図が記載されている事を確認した。(私は慎重なタイプだ。)

しかし、私がビラの上下を見間違っている可能性が全くないとは言い切れない。
「美容院はどうやって行けばいいんですか?」(私は念には念を入れるタイプでもある。)

すると若者は、淑女に話しかけられたことに一瞬驚いた様子を見せたが、現在地とは反対側の出口を出ればすぐであることを説明した後、
「出口の目の前の国道沿いにあるビルの二階です。迷われる事はないと思いますが、分からなければ店に電話をしていただければ大丈夫です」と付け加えた。

それを聞いて一先ず安心した。私には施術料金などよりも、目的地にたどり着けるかどうかの方がはるかに重要なのだ

しかし、私の日ごろの行いが良いせいなのだろうか、話はそこで終わらなかった。
去り際に軽く視線を交わしたためであろうか、若者がハッと息を飲んだ(ような気がした)。
自慢ではないが、私は伊東美咲とは比べ物にならないほどだ。しかも目が二つ、鼻と口は一つずつという共通点まである

カットモデルも募集しているんですが、いかがですか?」

私は一瞬耳を疑った。そしてその直後に、何と人を見る目のある若者だ、まだこんなに素晴しい若者がいたのかと、人類の未来に一筋の希望を見たような気がした。

しかし、モデルというからには、写真撮影などもあるのかもしれない。
自慢ではないが、私は写真写りが悪い方だ
今までに似ていると言われたのは、ネコバス座敷わらしゲゲゲの鬼太郎の猫娘などだが、私の運転免許証の写真は久本雅美のように見える
以上のことからも、私の写真写りが悪いことは明らかだ。

だが、目の前の若者はそんな私の内心の苦悩にまるで気付く様子がない。
しかも、よく見てみると、手は皸で痛々しいほどだ。
私の脳裏に疑惑がよぎった。
この若者は、おそらくシャンプーだけで一日の勤務が終わっているのではないだろうか。
そんな若者に、カットモデルを選ぶ権限など与えられているのか?

しかしよく聞くと、カットモデルとは練習台のことであった。
だが、ここで落胆の様子を見せるわけにはいかない。モデルである事に間違いはないのだ。

私は内心の不安を押し隠して決断した。
「いいですよ」

すると若者は満面の笑みを浮かべて、近いうちに連絡する旨を告げた後、
「もちろん無料でさせていただきますので」
と付け足した。

これで私のモデルは決定した。
すでに電車の時間が迫っていたが、ここで走り出しては、まるで無料という点に浮かれているように思われてしまう。私は最後まで淑女らしく、内心の動揺を悟られないように、落ち着いた歩調でホームへと上がった。



本格的なモデルの要請があったのは昨日のことだ。
閉店後に始めたいという。

事前の下調べが功を奏して、迷うことなく八時過ぎに到着すると、思っていた以上に小奇麗な店だったので、私は少なからず安心した。(私は疑り深いタイプだ。)

若者は休みだったにも拘わらず、私のために出勤してくれたという。私は自分が大人物過ぎることを恥じた

まずはヘアスタイルを相談する。
スキンヘッドやモヒカン刈りにされないことを強く念じると、若者に通じたのか、無難な髪型を提案された。
念じたのと逆の事態に陥る事が多い人生であった事をすっかり忘れていた。危ないところだった。

次にシャンプー台に案内されると、やはり思ったとおり手馴れている
その後、鏡台の前に移動すると、若者は手早くカットを始めた。
腕前は悪くないようだ。
話もなかなか巧い。

ハゲ用のカツラが五人分は出来るんじゃないかと思うくらいの髪が切られたところで、カットは終了した。
頭が軽い。脳みそも一緒に流れ落ちたのかと思うほどの軽さだ。

チーフらしき女性が私の髪型をチェックした後、何か気になる点は無かったかと尋ねてきた。
私は3点ほど気になるところがあったのだが、大人物らしく報告は2点に留めた。
目に髪の毛が入って痛かったことくらいで文句をつけるのは、大人物としての品位に欠けると判断したためであって、決して次回はデジタルパーマを無料でさせていただきます、という若者の言葉に踊らされたためではない。

帰宅後、夫に感想を聞くと、夫も新しい髪形に満足したようだ。
しかし、洗髪後、髪の毛を乾かすと重大な事実が発覚した。
私の腕では、どうしても清水の次郎長のような髪型にしかセットできない


【美容師さんは、丁寧にカットしてくださっただけではなく、とても気さくでいい方でした。くれぐれもパロディーである事をご承知おきくださいませ・・・(゜▽゜)】


2007/03/28 04:13 | Comments(0) | TrackBack() | コスメ・美容
神童 2

またまたヘンな時間に更新しています・・・・
どうも睡眠障害っぽいのか、夜中に眠れません。
間違いなく体内時計が狂っているのでしょう・・・_| ̄|○

昨日の続きです。
「神童」と呼ばれた、悲劇のヴァイオリニスト渡辺茂夫さんの話題です。

この方は、以前にテレビでも取り上げられたそうなのですが、残念ながら私はそのような放送があったことすら知りませんでした。

世界最高のヴァイオリニストという地位を目前にして、演奏家人生が絶たれてしまったその無念さは如何ばかりのものだったのでしょうか。
精神状態が不安定になった頃には、徹底した日本嫌いの傾向も見えたとのことですから、慣れない異国での生活、敗戦直後という時代状況、そういったものが折り重なって、渡辺茂夫さんはアイデンティティーの喪失を体験してしまったのかもしれません。

ただ、渡辺茂夫さんは、ハッキリしない精神状態の中でも、ヴァイオリンを愛する心はそのままだったようで、生前最後のお写真は、ヴァイオリンを片手に、透き通るような笑みを浮かべて写っていらっしゃいます。
それがまた、見るものに胸を刺すような切なさを感じさせてなりません。

http://www1.parkcity.ne.jp/fls7/lester/data/pixs/sw.htm

上記のページに渡辺茂夫さんの生前最後に撮られた写真が掲載されています。


私が聴いたCDはその名もズバリ「神童」と題されたアルバムで、渡辺茂夫さんの肉声も収められています。(友人には、この肉声のトラック9は飛ばして聞くように言われていたので、演奏者の正体が分かってから、肉声部分を聞きました)。

肉声部分は、「アメリカからのメッセージ」ということなのですが、徹底した日本嫌いの傾向が見えた、という背景を知ってから聞きましたので、英語なまりの拙い日本語が、余計に胸に迫ってきて、またこれが自殺を図る数ヶ月前の録音だという事実と合わさって、涙が止まりませんでした。

この「神童」という2枚組みのCDは、一枚目に小品が収められ、二枚目には協奏曲が収録されています。
中でも一枚目のトラック13「ノクターン嬰ハ短調」(ショパン)は、ピアノ曲をヴァイオリンにアレンジしたもので、非常に珍しいものだと思うのですが(多分、普通のヴァイオリニストはショパンの曲を演奏しないのではないかと思います)、悲哀に満ち満ちていて、とても10代が演奏しているとは思えません。

恐らく、小品(一枚目)のうち前半に収められているものの方が、演奏年代が古いのではないかと思います。後半の方が熟練しているように聴こえます(前回私が述べた、高音の引っかかりなどは、前半の曲に集中しているので。但し私の勝手な憶測です・・・違っていたら申し訳ありません)。

が、逆に言えば、後半の方が自殺を図ったその時により近い録音という事になりますので、鬼気迫るという印象は、やはり後半の方により感じられてしまいます。

なお、このCDの他、3枚組みのものも発売されていたようなのですが、どちらも入手困難品らしく、現在では中古品を探すしか、入手手段はないようです。
ただ、渡辺茂夫さんは、昭和30~40年代にクラシックを聴いていた方には、非常に知られた存在であったそうなので、これから先、再評価・再発掘が進めば、またメジャーレーベルからの再発売などもあるのかもしれません。

さて今回は、何の知識もないまま、単純に音楽を鑑賞するって言う事が、これほど難しい事だとは・・・ということを思い知らされました。
渡辺茂夫さんの生涯を知った上で聞くと、「鬼気迫る」という印象こそ変わらなかったものの、切なさがダイレクトに響いてきて、正直涙が止まりませんでした。
また、特に後半の曲を聴いていると、「あんまり巧くないよね?」という感想を抱いた自分の耳が、本当に信用できないというか、豆腐の角に頭をぶつけて出直して来たい心境です・・・・_| ̄|○

渡辺茂夫さん、本当に失礼な聴き手で申し訳ありません・・・・懺悔します

ただ、自己弁護するわけではありませんが、音楽は演奏されたものだけが全てなのではなく、やはりその背後にある状況や時代背景、奏者や作曲者の人間性など、あらゆる要素が絡まりあって成立するものなのだと思います。
ですから、渡辺茂夫さんという演奏家を知る前と知ってからの私の感想は、やはり大きく違うものですし、それこそが音楽の醍醐味でもあるのだろうと思いました。

ピアニストのホロヴィッツが、晩年最後の来日公演を行ったとき、有名な音楽評論家である吉田秀和氏は、巨匠の演奏を「ひび割れた骨董品」と表現しました。
当時巨匠は79歳。完璧なまでのテクニックで他を圧倒していたそのスタイルゆえに、老齢による衰えは隠しきれるものではなかったのでしょう。ですから、この吉田氏の論評は客観的に見ても、的を射たものだったのだろうと思います。
しかしもし、ホロヴィッツがこの公演の直後に、あるいは公演中に亡くなってしまっていたとしたら、きっとこの演奏は「命を懸けた演奏」として、ひょっとしたら語り継がれるほどの名演になっていたのかもしれません。

音楽(に限る話ではありませんが)は、そういう意味で、本当に聴き手の心に直結するドラマを含んだ芸術なんだな、と改めて感じる次第です。

最後に。下に引用したのは、朝日新聞に掲載された渡辺茂夫さんの訃報です。なお、この記事中で、私は「自殺を図る」という表現を用いていますが、真相は闇の中であり、ご家族は何者かによる謀殺説を信じていらっしゃったという事実を申し添えておきます。

「神童」バイオリニスト 渡辺茂夫さん死去 1999・8・15 朝日新聞 朝刊記事より
七歳でデビュー、神童と絶賛されながら、米国留学中の事故で長く寝たきりとなっていたバイオリニスト、渡辺茂夫(わたなべ・しげお)氏が、十三日午後十時五十七分、急性呼吸不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。五十八歳だった。葬儀・告別式は十六日午前十一時から神奈川県鎌倉市西鎌倉四の七の十一の自宅で。喪主は父季彦(すえひこ)氏。渡辺さんは1948年、七歳で初の演奏会を開き、「天才少年」と脚光を浴びた。来日したバイオリニストのハイフエッツに認められ、55年にニューヨークのジュリアード音学院に留学。最年少で奨学生に選ばれるなど、期待を集めた。しかし57年、睡眠薬を飲み過ぎて意識不明となり、脳に障害が残った。96年には渡辺さんの生涯をたどった伝記、留学前の演奏を集めたCDが発売されるなど、再評価の動きが続いていた。


神童/幻のヴァイオリニスト~渡辺茂夫私が聴いたCDのジャケットです。


2007/03/27 04:20 | Comments(1) | TrackBack() | 音楽
神童 1
先日友人から、「これを聴いてみて」と、二枚のCDを渡されました。
タイトルも曲名も、そしてヴァイオリンだということ以外は演奏者も全く分からないまま、とりあえず聴き始めました。

私が今まで聴いていたヴァイオリンとは全く違う音色で、しっかりと曲は弾けているし、テンポも崩れていないのだけれども、正直、高音部は「キーッ」という引きつれた感じがしましたし、全体的に引っ掛かりが気になったように思いました。また、何だか焦りのような、鬼気迫った感じもして。普通じゃないな、というのが第一印象でした。・・・・「あんまり巧くないよね???」という暴言まで吐いてしまいました((((゜Д゜;))))

音色が全く、本当に私が今まで聴いていたものとは明らかに違っていたんです。
実は、すっごい小さい子供が弾いているのか、と一瞬思わなくも無かったのですが、まさかね・・・と常識が働いてしまい、

この時点で、この奏者は
1.目が見えない
2.耳が聞こえない
3.義手である
という、三択のうちのどれかに該当しているのでは???
などという、まことにとんでもない感想まで抱いてしまっていたのでした・・・_| ̄|○

さらに「普通のクラシック演奏者だよ」と言われた後でも、懲りずに「ジプシーヴァイオリン!?」とか、どこまでも見当違いの感想を述べていた私・・・。
いや、速いテンポをグイグイこなしている感じから、ジプシーヴァイオリンを連想してしまったのです・・・。

二回目以降は、耳にも音色が慣れてきたのか、旋律がはっきりと際立った演奏で、やや攻撃的な感じはそれでも感じられはしたのですが、非常に印象に残る演奏だという感想を持ちました。

さて、この何の前知識もないまま聴かされたCDは、その昔「神童」と言われた渡辺茂夫さんという悲劇のヴァイオリニストの、貴重な録音でした。

私が高音部の音色が気になったのは、現在の主流と比較すると、やや力を強く加える奏法であった事に加え、一つにはこの方の愛用していた楽器がハンガリー製の無銘のものであったことも原因だったかもしれません。
いまや人類の至宝ともいえる、ストラディバリやグァルネリなどの名だたる名器での演奏を聴いてみたかったと思います。
また、録音が(手元にデータがないので何ともいえませんが)恐らく、12~16歳の間のものであるということらしいので、ひょっとしたら、一部フルサイズではない分数楽器によるものも含まれていたのかもしれません。
(ヴァイオリンには、小さい子供でも演奏できるように、二分の一・四分の一などの『分数楽器』といわれる小さい楽器が存在します。当然小さいと音量や音色も、フルサイズより劣ったものになってしまいます)

と、色々言い訳を並べましたが、私の聴く耳が無かったというだけのことですね・・・・。

渡辺茂夫さんは、戦後の混乱期の中に、突如現われたまさしく天才でした。
1941年生まれ、わずか7歳でデビュー。この時に演奏したのはパガニーニとメンデルスゾーンの協奏曲。(メンデルスゾーンの協奏曲は、通称『メンコン』ともいわれる、ヴァイオリニストならば誰もが演奏したいと思うような重要レパートリーで、フィギュアの安藤美姫選手が、今回の世界フィギュアのフリーで用いたのもこの曲です)

養父の季彦さんがヴァイオリニストだったこともあり、かなりのスパルタ教育を施されたようです。その甲斐あって、茂夫さんは「神童」の名をほしいままにします。演奏も、「子供にしては良く弾けている」というレヴェルのものではなく、まさに一人のヴァイオリニストとして完成されたものであったようです。

その証拠として、茂夫少年は20世紀最高のヴァイオリニストである、ヤッシャ・ハイフェッツに見出されます。この時ハイフェッツは茂夫少年を「50年に一人」「100年に一人」の天才と言ったと流布されています。しかし一説には、自己を史上最高のヴァイオリニストと自負し、非常にプライドが高く他人を決してほめる事のなかった人であるゆえ、実際には「25年に一人の天才」という表現だったのではなかったかとも考えられているそうです。

しかし、いずれにしてもハイフェッツは、茂夫少年の演奏をたったワンフレーズ聴いただけで「25年に一人の天才」である事を見抜き、当時世界最高の教授として有名であったガラミアンのもと、ジュリアード音楽院で修練する事を薦めました。
そして、ハイフェッツの強い推薦により、茂夫少年は、ジュリアード音楽院への無試験の入学が認められ、それだけではなく最年少での授業料全額免除のスカラシップまで獲得したのです。
この時茂夫少年は13歳。

もちろん、この時点で、日本人音楽家は何名も欧米への留学を果たしていますが、茂夫少年のように、中学2年という若さで留学を果たした人はいませんでした。
しかも、まだ昭和三十年代です。現在のように誰もが海外へ渡航できるわけでもなく、円の国外持ち出しさえ禁止されていた時代です。それに加え、茂夫少年は満足に英語を理解できる状態ではありませんでした。非常に不自由な制約を課された上での留学は、世界的ヴァイオリニストになるためには避けられないことだったとはいえ、ある意味ギャンブルのような決断だったと思います。

しかし、茂夫少年はアメリカへと旅立ちました。
言葉も満足に分からないまま、たった一人で13歳の少年は異国の地へと降り立ったのです。

東洋から来た、上品な容姿と素晴しいテクニックを持つ少年は、アメリカでも歓喜をもって迎えられました。
誰よりも優れたその演奏は、聴く人のすべてを魅了してやまなかったそうです。

そして、ジュリアードでの勉強が始まりました。
教授のガラミアンは、誰もが世界一と認める名教師でしたが、茂夫少年の奏法には否定的でした。しかし、ガラミアンもまた、茂夫少年の才能は大いに認めるところで、一時期は自宅に茂夫少年をホームステイさせるほどの入れ込みようでした。

しかし、茂夫少年の奏法はすでに13歳にして完成されたもので、自らの演奏法でがっちりと固めさせる事を好むガラミアンとは、相容れなかったようです。ガラミアン自身は奏法の矯正(強制!?)を良かれと思ってしていたのですが、茂夫少年は、奏法を否定される事によって、自分自身をも否定されたような気持ちになってしまったのか、徐々に情緒不安定さが目立ち始めます。

他にも、好奇心旺盛な思春期に、音楽以外の勉強を出来るような環境ではなかった事、満足なコミュニケーションをとることが出来ず、人間関係をうまく築けなかった事、など多くの不幸が重なってしまった事は否定できないでしょう。

1957年11月3日、16歳の渡辺茂夫さんは、大量の睡眠薬を飲んで自殺を図りました
薬を嚥下してから治療が開始されるまでに、7時間ほどの時間がたっていたと見られ、薬の大部分は吸収されてしまった後でした。
茂夫さんが本当に自殺を図ったのか、服用量を間違えた事故だったのか、あるいは未成年には入手不可能な薬物であったことから、彼の才能を妬んだ何者かによる謀殺だったのではないか、など様々な憶測が乱れ飛びましたが、真相は謎のままです。

茂夫さんは、一命を取り留めました。
しかし、薬の作用で高熱の続いた脳組織は破壊されてしまい、ヴァイオリンの演奏はもちろん、日常生活さえままならない身体になってしまったのです。

「天上の音楽」とまで言われ、世界最高のヴァイオリニストという地位さえも、すでに夢ではなかった渡辺茂夫さんの演奏家としての人生は、わずか16年で閉ざされてしまったのです。

【次回に続きます】

2007/03/26 01:18 | Comments(0) | TrackBack() | 音楽
スペースファンタジー!?
色々なジャンルの本を読む私ですが、あまり好んで手を出さないジャンルも当然あります。

その1.タレント本
最近は、カンニングの竹山さんの振り込め詐欺本を読みましたが、まあ、ここでいうタレント本とは、ちょっと異質ですよね。
いわゆるタレントのエッセイというか、なんというか、ファンじゃなきゃ読まないよっていう類の本です。
ファンというほどの芸能人はいないので(笑)
(以前、川村カオリさんの『ヘルタースケルター』だけは、ご紹介しましたが。)

ただ唯一の例外が、昔東海テレビでやっていた、「地名しりとり」本。(一時期東海人でした)
著者は、最近知名度の上がってきたペナルティーのワッキーです。
というか、このコーナーで知名度上がったんじゃないかと思いますが。

私は「地名しりとり」が大好きで、毎週欠かさず見てました。
コンセプトは、道行く人に声をかけ、しりとりをしてもらう。但し、そのしりとりには、その人が行ったことのある地名しか答えられず、ワッキーは言われた所に行かなければならない!というものでした。
(しかも、北海道から九州へ移動する事になったとしても、新幹線や飛行機は禁止)
愛知・岐阜・三重の東海三県を制覇すれば終了(=その三県の地名を答えてもらえればよいということです)、というコーナーだったのですが、なぜか三重だけが出ず、足掛け三年十ヶ月・・・・ワッキーは日本全国を放浪したのです(一部東南アジアあり)
北海道から沖縄まで、移動距離は延べ24万7千キロ!!!

しかし、松阪牛も伊勢神宮も真珠も鈴鹿サーキットもあるというのに、四年近く誰も口にしなかった「三重」って、本当に存在感のない県なんですね・・・。北川知事という素晴しい知事もいたっていうのに・・・・。
(北川さんは、シャープを三重の亀山に誘致した実績も持つ人です!)
私も、住んでました。いや、また戻る可能性大・・・・・_| ̄|○

で、この「ワッキーの地名しりとり」、二冊あるんですが、両方もちろん持ってます。
しかも、一冊目はサイン会にまで行きました(笑)

その2.ハウツー本などの実用書
仕事柄、参考書とか文法書は読みますが、「風水で幸せを掴む」とか「モテる女になる方法」とか、そういうのはキライなので読みません(笑)
最近、そうとは知らずにそれっぽいのを一冊購入してしまって、ちょっとココでも愚痴を書いてしまいましたが(笑)

その3.SF
このジャンルは、あんまり読まないってだけで、別にキライではないのですが。
初めて読んだSFが、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』だったもんで、私はSFのことを(ありがちですが)「スペースファンタジー」の略だと、大学入るくらいまで思い込んでました(笑)

SFとはもちろん「サイエンス・フィクション」のことで、邦訳では「空想科学小説」ということになってますね。
だけど、『銀河英雄伝説』って、宇宙を舞台にした歴史叙事詩って感じの、まさに「スペースファンタジー」なわけですよ。
あんまり「科学」って面を意識しなかったというか。
実際、この作品は「スペース・オペラ」と表現されることのほうが多いようです。
私も、SFよりは、「スペース・オペラ」の方が、よっぽどこの小説のイメージを的確に伝えてくれると思います。(アメリカでは、「スペース・オペラ」という形容は、多分に二流小説という含みを持っているそうですが、日本ではこの『銀河英雄伝説』があまりにも偉大なので、あまりそういう否定的な用いられ方はされていないと思います)

最近、この『銀河英雄伝説』が、文庫版で再販されたので、実家にノベルズがあるにも拘らず、第一巻を購入してしまいました・・・。二ヶ月に一冊刊行ということで、完結までに約二年・・・・。途中で我慢できなくなって、実家に取りに行っちゃいそうな気もします(⊃д⊂)

他にSFでオススメは
『永遠の森ー博物館惑星ー』 菅浩江著 (早川文庫JA) です!

これは、「ベストSF2000」国内篇第一位第32回星雲賞日本長篇部門、そして第54回日本推理作家協会賞という輝かしい受賞歴を持つ作品なのですが、それも当然の面白さです。
日本推理作家協会賞を受賞している事からも想像できますように、SFでありながら、同時に謎解きもしてしまうという「一粒で二度美味しい」作品集でもあります。

心が洗われるような繊細な物語と、意表をつく謎解き、魅力的で多彩な脇役陣、一度読んだら虜になること間違い無しです!

古典的なところでは、ホーガンの『星を継ぐもの』(創元SF文庫)もよかったですねー。これは、私のイメージするSFそのものでした!これ一作だけでも楽しめるのですが、『ガニメデの優しい巨人』『巨人たちの星』、そして『内なる宇宙』と、シリーズ化してます。
最初は私も、「巨人モノなの~!?」と、やや抵抗感があったのですが、そんな抵抗感など即座に払拭されてしまいます。よく練られている、良質のSFだと思います。
私もSFは初心者なので、偉そうな事は申せませんが、それでもこのシリーズは、SF初心者にオススメです!


さて、明日は来客があるので、さっきまでちょこっと部屋の片づけをしてました。
ダンナの会社の後輩が二人遊びに来るのです。

いそいそとガンダムを片付け始めるダンナ
私:「今更、なにやってんの?」
ダンナ:「いや、ガンダムを寝室にね・・・ゴニョゴニョ」
私:「明日来る人って、ガンダム好きって知らないの?」
ダンナ:「いや、ガンダム好きな事も、プラモ好きなことも知ってる」
私:「じゃあ、隠さなくていいじゃん」
ダンナ:「・・・・・・・・・・・・・・・・いや、ありすぎるから」

ほぉぉぉぉ、「ありすぎる」って自覚があったとは知りませんでした!!
ガンダム40体もあるっちゅーねんッ!!

2007/03/23 03:27 | Comments(0) | TrackBack() |

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