忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/05/21 00:12 |
ミス・ミナコ・サイトウとは別人です

さて、ここのところ読書ネタが続いておりますが、今日もやっぱり読書ネタです。
音楽ネタやゲームネタを期待してくださる皆様、申し訳ありません。
しかし何といっても「FF12 RW」をクリアして以来、新しいゲームには手を出していませんし、音楽ネタといっても、「今日のBGMはこの曲でした」くらいしか、今現在特にネタが見つからない状態でして・・・・。
ただ、音楽ネタは週末に新しく一本アップする予定です~(私をよく知る方には、ちょっとびっくりするかもしれないネタでございます(笑))

で、今日の話題は、とうとう書いてしまいます、私の今現在お気に入りのモノ書きさんの一人、先日も名前だけちょこっと出しました、斎藤美奈子氏の著作についてです!
もちろん『超一流主義』だかなんだかのトンデモ本で一世を風靡(!?)した、タイトルのミス・ミ
ナコ・サイトウこと、斎藤澪奈子さん(若くして亡くなられましたね)とは全くの別人ですよ!


それにしても、自分の文章を読み直してみると、書き口というか、雰囲気が斎藤氏に多分な影響を受けていることがよく分かります(笑)
もちろん、巧さも面白さもそして過激さもΣ(゜д゜|||)足元にも及ばないわけですが・・・。


まずこの方の代表作といえばコレ。
『妊娠小説』 (ちくま文庫)


「え!?妊娠小説って何??聞いたこともないけど??」
と思われた方、その通りでございます。
確か小川洋子氏に『妊娠小説』というタイトルの小説があったように記憶していますが(しかも読んだはずですが、例のごとく中身はサッパリ・・・・_| ̄|○)、それについての書評とか、そういったものでは全くありません。
「妊娠小説」とは、この本の中において、「恋愛小説」とか「青春小説」とかと同様、小説の一ジャンルとして、筆者が一群の小説に対して命名したジャンル名です。


筆者の定義によれば、妊娠小説とは「望まない妊娠を登載した小説のことである」とのこと。
さらに、その定義に基づいて、多くのサンプルを、時代や内容、書き手の性別など、様々な角度から分類し、詳細な分析を加えているのが本書です。


さて、近代妊娠小説の始め(つまり、本書で最初に槍玉に上げられた作品ということですが(笑))は、誰もが読んだことのある、森鴎外の『舞姫』
妊娠小説には「受胎告知」がつき物だそうですが(そりゃそうですよね、「私妊娠したの・・・」というセリフは、間違いなくクライマックスを飾る場面の一つです(笑))、この『舞姫』においては、直接的な「私妊娠したの・・・」に相当するセリフはありません。
「白き木綿、白きレエス」という白い布を強調し、それが「むつき(「おむつ」のこと。原文では漢字です)」であることを豊太郎(主人公です)に気付かせることで、エリスの妊娠を読者に告知しているわけです。


さて豊太郎は、自らの保身・出世の為にエリスを捨てるのですが、エリスは発狂し、「むつき一つを身に付け」た姿にまでなってしまいます。
筆者に拠れば、これは自分が着る筈だったウェディングドレスの白に、白き木綿の「白」が重ねあわされているのであろうとのこと。
そして、この『舞姫』が妊娠小説である所以も、この「むつき」とエリスの発狂にあるというのです。


なぜなら、エリスが妊娠さえしなければ、仮に豊太郎が帰国しても、発狂などということにはならなかっただろうし、豊太郎も帰国の途、手記を書くほどの苦い悔恨にさいなまれることもなかっただろうと考えられるからです。
それどころか、「オレは向こうですごかったんだぜ」くらいの武勇伝にすらなっていたかもしれない、と(笑)。


いやー、『舞姫』の中心プロットが妊娠にあるとはΣ(゜д゜|||)
「妊娠小説」なんて視点に目からウロコ、この人はなんて慧眼なんだ!と思わずにはいられませんでした、ホントに(笑)


他にも、男性の書き手による妊娠小説には、ヒロイン殺しの系統があるとか。
これは、50年代の、妊娠とは(堕胎も含め)肉体的苦痛を伴うものであり、だからろくでもない女はそういう苦痛という罰を受けるのだ、という教育的意味を内包している小説をいう、らしいです。
ここで槍玉に上げられているのは、石原慎太郎『太陽の季節』(笑)。
(私は以前、石原慎太郎大嫌いと書きましたが、斎藤美奈子氏も石原氏をお嫌いなようで、『早く引退してくれればいいのに』ってな旨の発言をしておられました(;゜ロ゜))


70年代になると、女性自身が妊娠を取り入れた小説を書くようになったとか。
これは、若い女性が妊娠という女の秘密を自ら語るところに、世間的には価値があったらしいです。


あるいは、「出会い→初性交→妊娠→中絶→別れ」という、妊娠小説の五大要素が、小説の展開において、それぞれどのあたりに位置しているかを、野球のイニングになぞらえて説明してみるなんて趣向もあったりしますΣ(゜д゜|||)


ちなみに『舞姫』では、三回の表で「出会い」、四回の表で「初性交」(但し間接的描写)、八回の裏で「受胎告知」、九回の表で「エリスの発狂」、九回の裏で「別れ」という展開になっているそうです(笑)


この本、なんせ中身が濃いので、とてもご紹介しきれるものではありません。
ただ切れのいい文体、独特の視点、適度な毒に、緻密な分析と、斎藤氏の著作の特徴がよく現われている一冊ですので、斎藤氏に興味のある方で本のお好きな方は、まずこの一冊から読み始めてみるのもいいかもしれません。



では、本、というかいわゆる文学は特に興味ないし・・・という方にオススメのものはないのか?
というと、うってつけの一冊、いや二冊がございます(笑)


『あほらし屋の鐘が鳴る』 
『麗しき男性誌』 


以上どちらも文春文庫からの刊行です。
(斎藤美奈子氏の著作の文庫版は、恐らく文春文庫とちくま文庫に集中していると思います。)


前者は今はなき「PINK」および「UNO!」という雑誌に、後者は朝日新聞社発刊の「アエラ」に連載されていたコラムを、それぞれまとめたもの。
前者のうち、後半に収録されている「UNO!」掲載分が、後者と対を成していまして、それぞれ女性雑誌と男性雑誌を面白おかしく分析した内容になっています。


一例を挙げると、「anan」は「センスも頭もいい長女」タイプ、「nonno」は「素直で大人しい次女」タイプ、「JJ」は「出来のいい二人の姉に抑圧されて屈折している三女タイプ」だとか。
雑誌に人格を見るのも面白いですが、それを各雑誌の編集方針や、紙面のレイアウトなどの情報から説得力をもって分析してしまっているのですから、非常に興味深いのです。
しかも、これが斎藤節なのですが、先の「妊娠小説」以上にかなり毒吐きまくってます(笑)
例えば「JJ」についての一節。


「ご存知『読者モデル』。あれってようするに女の子のカタログ化でしょう?で、ここに並んでる子たちがまた、デパートのバーゲンセールで売ってそうな子たちなんだな。一応百貨店だから、もともとの品質や仕入先はそう悪くないはずである。しかし、やっぱり漂うおチープ感


「たとえば『キャンパス有名人』として登場するKO大学法学部四年のY子さん。司法試験を目指して勉強中という彼女いわく。〈結婚した後でも家で働けて一生できる仕事ですから〉〈でも今は就職活動を控えてて、アナウンサーやマスコミ系にも目がいっちゃう〉〈一番の理想は弁護士になった後に、テレビでコメンテーターをすること。すごくかっこ良さそうで憧れちゃいます〉。ま、人生、どう生きようと勝手だけどよ。どういう理由で『キャンパス有名人』といわれてるのか、考えてみた方がいいぞ


てな具合で、笑いの(毒の?)ツボ満載です!


一方男性誌についても鋭い(笑える?)分析がてんこ盛り。
「週刊ポスト」を、「一冊の中に同居する知的パパとエロオヤジ」、さらには「援交の場で『ねえ君、親御さんが心配するよ』と女子高生を叱る説教オヤジ」みたいなもんだと言ってみたり、「日経おとなのOFF」の好む表現「愛する人」とは不倫相手のことですよね~、それほど待遇のよくなかった宿については「夫婦向け」というコメントをしているんだから、と突っ込んでみたり、これまた抱腹絶倒のコラム集です。

(「日経おとなのOFF」という雑誌、このコラムが書かれた当時は、斎藤氏に「失楽園系不倫情報専門誌」と言われてしまうほど、不倫色の強い雑誌だったらしいです(笑)。今はそこまで露骨な内容ではないらしく、ちょっと残念(゜▽゜))


これら雑誌の記事についても、先の『妊娠小説』同様、斎藤氏は単なる印象で語ったりせず、何月号にはこんな特集が載っていたとか、このような表現が使われていたとか、あくまでもその雑誌から読み取れることのみを根拠として書いているので、読者としても不快にならず、純粋に楽しめるわけなのです。
感覚だけで書いていたら、ただのイチャモンですもんね。


斎藤美奈子氏は文芸評論家ですので、書評なども多くお書きになっているのですが、やはり斎藤節が随所に見え隠れしていて、そこら辺に転がっている「太鼓持ち」記事とは一線を画しています。
よっぽどの本好きか暇人でなければ、正直、斎藤美奈子氏の著作を手に取られる機会もなかなかないとは思いますが、どこかで「斎藤美奈子」という署名記事を見かけたら、是非とも一読なさってみてください。
大当たりなら「目からウロコ」、そこまで行かなくとも「面白いこと書いてるなあ」くらいの感想を抱かれるんじゃないかなぁ(もちろん好みもありますから誰もがというわけにはいきませんが)と思います。


ということで、今日は珍しく同一人物の著作三作という、斎藤美奈子特集でした(笑)

PR

2007/07/03 22:41 | Comments(0) | TrackBack() |
教科書が教えてくれない歴史
今日はまずご報告。
一部の方が「アレの中身はどうなっているんだ!?」と興味津々だった(かもしれない)「缶詰ラーメン」
とうとう食べましたッ!!

F1000021.JPG
まず、開けた感じはこんなんです。
ま、予想通りというか。
食欲を全くそそられないルックスですね~

既にこの時点で、丼の底に残った食べ残しってな雰囲気を醸し出しています。






F1000020.JPG
で、麺の感じ。
右下に垂れてるのは、具のメンマ。








この写真を撮った後、口に入れてみました。

「まっずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーッ((((゜Д゜;))))」


ある程度予想はしていたことですが、こんなにまずいものを食べたのは久しぶりでしたよ・・・・
麺が延びないように、コンニャクを使用しているらしいのですが、コンニャクのプリプリ感すら感じられませんでした
単なる延びてコシのない麺。
いや、延びてすらいないハズです。
だって延びないようにコンニャクなんだもん。

スープに至っては、「腐ってる!?」と思わずにはいられないビミョーな酸味。
そりゃ、冷やし中華にはアクセントとして酢を入れたりすることもありますけど、まさかソレを狙ったって訳じゃないですよね?アータ、ってなもんで。
このスープを飲み干すのは、罰ゲーム級の苦行でしょう。

F1000019.JPG
ハイ、でしばらく食べてると出て来た「具その2」。
何か分かります?

ダンゴ虫じゃありませんよー
エビです、エビ。

スープが染込んで、マッ茶ッ茶。
エビの味はかけらもしませんでした。



そして、驚くべき事に、この直径1センチにも満たない干しエビは、一匹しか入っていなかったのでした・・・・Σ(゜д゜|||)
具はメンマ数本と極小サイズの干しエビ一匹。

結論から申しますに、私のようにブログのネタにでもしない限り、決して食べる価値のないラーメンなのでした。
いやー、この味で商品化を決めたことがすごいわ。
話題性で売れるうちに売りまくって、下火になる前に引き上げるってな算段なのでしょうか・・・。
この商品が日本橋から消えてなくなるのも時間の問題だと思いますので、気になる方は今のうちにゲットしてください(笑)


さて、今日も読書の話題です。
先日、久間防衛相が「長崎の原爆は戦争終結のためにはしょうがなかったんですよね」なんて問題発言をしておりましたが・・・。
その時に読んでいた本が、まさにタイムリーだったのでご紹介。

『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』 吉田守男著 (朝日文庫)

これ、親本は95年に角川書店から出版された『京都に原爆を投下せよ』という、なかなか過激なタイトルでして、2002年に文庫化されるに当たり、上記のような穏やかなものに変更されました。
(ただ、文庫化に当たり、内容の変更は誤字脱字の修正を除き、一切行われていないということです。)

さて、この本はあらゆる意味で興味深かったのですが、皆さんは「ウォーナー伝説」なる逸話をご存知ですか?
「ウォーナー伝説」を知らなくとも、京都に爆撃がなかったのは、アメリカが日本の文化財を保護しようと考えていたからだ、なんて話を聞いたことのある方は多いのでは?

私も、この本を読むまでは、それが真実なのだと思っていました。
が、もちろん歴史の真実とは、そんな甘っちょろい話ではありません。

「ウォーナー」というのは人名でして、日本では「ウォーナー博士」と一般に呼ばれています。
アメリカの名門の出で、自身もハーヴァード大で教鞭をとり、夫人はセオドア・ルーズベルトの姪に当たる方だったとか。
専門は東洋美術で、若い頃に日本に留学し、岡倉天心の下で学んだそうです。

このウォーナー博士が、アメリカ軍部・政府に働きかけ、京都・奈良を戦火から救ったというのが、ウォーナー伝説の概要です。
その伝説を事実とする根拠として、「ウォーナーリスト」の存在が挙げられます。
その名の通り、日本の主要・重要文化財をリストアップした書類です。
これを元に、京都・奈良への爆撃がアメリカの国策として回避されたのだ、だからこのリストを作成した博士こそ、日本の文化財を救った恩人だ、というのがウォーナー伝説を真実だとする立場の人々の言い分なのです。

ですが、筆者は真っ向からこれに異を唱えます。
「ウォーナーリスト」の存在は事実だが、そもそもその作成目的からして、認識を間違っている。
リストの作成目的は、日本の文化財の保護にあったのではなく、戦争終結後の文化財の「返還」にあったのだ、ということなのだそうです。

ここでいう「返還」とは、日本が占領した地域から強奪した文化財を、強奪した時点の状態で返還できない時に(要は破損・紛失している時に)、その賠償用の代替品として「返還」するためのリストだったということですΣ(゜д゜|||)

これらの経緯については、アメリカに残る大小さまざまな資料を分析した上での客観的な結論なので、資料の捏造などということでもない限り、真実だと思われます。
(資料の捏造があるかも、と言っている訳ではありません。まず間違いなくそんなことはないと思います。)

また実際、リストに上がっている文化財が爆撃を受けている例も少なくありませんので、その点からも、「ウォーナーリスト」が保護を訴えかけるためのものでなかったことは明らかです。

ではなぜ京都は爆撃から逃れられたのか?

答え:京都は常に原爆投下の第一候補だったから

・・・・・・・・・・・・・Σ(゜д゜|||)!!

ええええええ!?と思わずにはいられませんね。
が、どうも事実だったようなのです。
京都に爆撃が行われなかったのは、原爆の威力を正確に測定するため、「出来る限り元のままの状態で市街地を残しておく」ことが最優先事項とされていたから。
破壊された市街地に原爆を落としても、それが原爆によるものだったのか、通常の空襲によるものだったのかの区別がつかないから、ということだったらしいです。

京都は、地形的にも山地に囲まれているため、爆風の威力が最大限に発揮されると予想されたこと、市街地に直径3マイルの円を描くだけの規模を有すること、人口が百万人以上いること、また宗教的意義の大きい土地だけに、原爆投下によって日本人に与える精神的ダメージが甚大になること、といった、まさに「理想的」な条件を備えた投下候補地だったそうです。

ところが、現実には原爆の一発目は広島に、そして二発目は長崎に落とされました。
(実際に候補地に上がっていたのは、京都・広島で、それぞれの予備地に小倉・新潟が予定されていたそうです。)

広島に一発目が落とされたのは、アメリカ軍部内に京都投下に反対する意見があったためです。
しかし、これも「京都が文化のある町だから」という甘い理由では、もちろんありませんでした。
戦後の国際情勢をかんがみて、京都への投下がアメリカに対する憎悪を引き起こし、日本がソ連側につくのはまずい、という政治的判断の故だったということです。

そして、京都が候補地から外されたかわりに、突如長崎が候補地としてリストアップされてしまいました。
長崎は京都の身代わりに原爆を落とされたのです。

しかし、アメリカは三発目以降の原爆投下も具体的に計画しており、三発目以降のターゲットとして、京都は引き続き候補に挙げられていたとのことです。
(結局京都は、一度は候補地から外されたものの、すぐに復活してしまいました。)

久間防衛相は「長崎の原爆は戦争終結の為にはしょうがなかった」なんてほざいていましたが、アメリカには二発の原爆で日本が降伏しようがしまいが、ハッキリ言って全く関係なかったわけです。
降伏しないなら、ここぞとばかりに原爆を落としまくっていたはず、とのことなのですから。
(二発の原爆投下の後、8月13日までは、アメリカは日本の様子を伺っていたようなのですが、翌日14日には、三発目の投下のためのリハーサルを行っていたらしいということです。奇しくもその翌15日に、日本は降伏したわけですが。)

「ウォーナー伝説」が、まさしく「伝説」に過ぎなかったことを、この本は鮮やかに証明しています。
京都が破壊されなかった理由とは、まさに戦時中ならではの「ドライ」な事情によるものであったということを。

ちなみに、奈良や鎌倉が空襲を受けなかったのは、単に爆撃の優先順位が低く、爆撃される前に戦争が終結した、という時期的なものに過ぎなかったようです。

他にもこの本には、興味深い内容が書かれていますので、是非一度、堅い本ではありますがお手にとってみてください。
ただ、書店の棚に並んでいないことが多いようで、取り寄せないと手に入らないかもしれません。
(私も取り寄せて読みました。)

私が今回、この本にちょっと熱くなったのは、「私達日本人っていい人過ぎるよな、やっぱり」という感想を抱いてしまったからなのです。
「いい人」であることが決して悪いことだとは思いません。
そしてもちろん「ウォーナー伝説」が、本当に真実なら、それに越したことはありません。

でも、戦時下にあって、そんな甘いこと考えられるはずもないわけで。
圧倒的な国力を誇っていたとはいえ、アメリカだって勝とうと必死だった訳ですし。
現実はもっとドライにシビアに動いているんだっていうことを認識するべきだな、ということを、この本から学んだわけです。

ちなみに「ウォーナー伝説」がここまで広く流布したのは、戦後GHQが、日本でまことしやかに囁かれていたこの話を、日本統治をしやすくするためにあたかも事実であるかのように利用し(「その通り」と太鼓判を押したわけです。日本人からの反感を和らげるために)、それを朝日新聞が報道して一気に広まった、というのが、筆者によれば真相だったようです。

この本に書かれていること全てを鵜呑みにするわけにはいきませんが(それはどの本の場合でも同じですね)、ただ第二次大戦のことを、このような視点から論じている本も他にはないと思います。
この本が、取り寄せなければ手に入らないという現状は、そういった意味でも望ましいことではないと思われます。
ので、きっかけは久間大臣の発言だったわけですが、ちょっと政治的な記事を書かせていただきました。

2007/07/03 00:06 | Comments(0) | TrackBack() |
オタク本!?
今日も引き続き読書ネタです。
濫読の私ですが、今日ご紹介する本は、今までブログで取り上げてきた本とはちょっと傾向が違うかもしれません。
・・・いやそうでもない本もありますが。

まず一冊目。
『無法地帯 幻の?を捜せ!』 大倉崇裕著 (双葉文庫)

双葉文庫からのご紹介自体が珍しいですね~(;゜д゜)
ここの傾向としては、完全エンターテイメント系の小説ばかりを扱っているということがいえるかもしれません。
しかもそのジャンルは、チャンバラ時代劇系、ポルノ系、そしてディープなミステリ系Σ(゜д゜|||)
(但し私の独断です。)

この『無法地帯』は、私がご紹介する本なので、当然ディープなミステリ系に分類される小説です。
(ディープなミステリ系というのは、正統派ではないということです(笑))

概要はと申しますと、「オタク版 仁義なき戦い」とでもいうべき、かなり斬新なミステリです。
マニアコレクター垂涎の、とあるアイテムをめぐって、私立探偵とホンモノのヤクザと、アイテム入手のためなら何でもやるというちょっと褒められないマニアの三名が、熾烈な争いを繰り広げます。

しかも私立探偵は、食玩(おもちゃに申し訳程度のラムネ菓子や飴が付いている、箱入りの商品のこと。私も好きなヤツです・・・(⊃д⊂))コレクター、ヤクザは怪獣アイテムコレクターという、主要登場人物はもちろんのこと、脇を固めるキャラクター陣もよってたかってオタクという、なんとも壮烈な布陣。

あらゆるシーンで、「オタク」という人種の特徴が強烈なまでにデフォルメされていて(デフォルメというより、実情かも知れませんが・・・)、例えばどんなに脅されても口を割らない人間が、コレクションを壊すぞと脅されただけで簡単に白状するとか、人の迷惑も顧みず乱闘を繰り返すくせに、「模型が壊れるから」という理由で、玩具店内での喧嘩を避けたりする・・・なんていう、かなり笑える描写が盛りだくさんです。

また、食玩というのは中身が見えないので、全種類揃えるために(コンプリートといいますΣ(゜д゜|||))何回も購入することとなり、当然同じもののダブりが発生するのですが。
そのダブりをいかに処分するかといった、マニア以外の方には全くあずかり知らぬ世界の事も、キチンと丁寧に説明されているので、マニアの世界を覗き見たいという方にも楽しんでいただける小説です(そんな人がいるのかは分かりませんが・・・(汗))。

肝心の謎はといいますと、一応殺人事件は起こるのですが、この小説の主眼は殺人事件の解決ではなく、あくまで「幻の?を捜せ」という点にありますので、殺人の謎解きはされているのですが、あまりインパクトは強くありません(笑)

一応、作者の大倉氏は本格推理物を手がけている方なのですが、この小説は「任侠モノ+探偵モノ+オタク」ということで、恐らく氏の著作の中でも異色だろうと思います(;゜д゜)
内容が内容だけに、「読んでみて!」と自信を持ってオススメできないのですが(笑)、興味のある方はお手にとって見てください。


二冊目。
『蹴りたい背中』 綿谷りさ著 (河出文庫)

今までご紹介してきた中で、恐らく一番のベストセラーではないでしょうか(笑)
しかも今更・・・・(;´д⊂)

何より、女性作家という点が、私にしては珍しいです。
昔は女性の作品をよく読んでいたんですが、最近はほとんど食指が動きません。
女性の本で読むのって、文芸評論家の斎藤美奈子氏の著作くらいかも・・・・(汗)

今まで、この『蹴りたい背中』も全く食指が動かなかったのですが、直近の早稲田の入試問題で出題されていたこともあり、読んでみる事にしました。
(ていうか、綿谷りさって早大在学中なのに、その在校生の文章を入試で使うか!?と、正直思わなくもなかったですが。しかも微妙な設問だったと思う・・・・)

で、感想ですが。
「へぇ、高校生がここまでの文章を書けるんだぁ」というのが最初の読後の感想でした。
やはり芥川賞受賞というのは伊達ではないと思いました。

すごく感覚的な文章で、確かに「瑞々しい」という表現がピッタリ。
五感を駆使したような、繊細な描写で、そういう意味では高校生らしい文章なのかもしれません。

ですが。
上手い下手とはまったく別の次元で、私にはやはり受け付けない類の小説でした・・・_| ̄|○
(単に私が想定されている読者層より年食ってるだけ・・・!?Σ(゜д゜|||))

主要登場人物が二人いるのですが(高校生の男女です)、どっちも「イタい」
作者が狙ってそのような人物造形にしたのは分かるのですが、ちょっとなんていうか、女の子は自意識過剰で気負いすぎてる部分が「イタい」ですし、男の子はいわゆる「アイドル(?)オタク」なのですが、正直気持悪い(笑)。

私自身、オタクの傾向があるので、オタクには共感する部分が大いにあるわけですが、ちょっとこの男の子(「にな川」といいます)には、オタクとは違う、狂気といいますか、気色悪さを感じてしまいました。
(先にご紹介した『無法地帯』にはハッキリ描かれているのですが、オタクとかマニアとかって、社会から外れているように見えて、実はオタク同士・マニア同士のコミュニケーションは盛んですから、この「にな川」君は誰ともコミュニケートしていないという点で、かなり異色です。オタクやマニアがある意味「陽」的なのに対して、「にな川」君は「陰」的なのが、気持悪いと感じる要因なのかもしれません。)
まあ、だからこそ主人公の女の子も「蹴りたい」という衝動が沸き起こってきたのでしょうけど。

ですから読んだ後、この小説が大ベストセラーになったことに些かの驚きを感じてしまいました。
いえ、面白くなかったとかそういう意味ではないですよ。

大ベストセラーになるためには、普段本を読まない層も取り込んで、本が売れてくれる必要があるわけです。
ですから、大ベストセラーといわれる本には、読みやすく、軽く、感動できるツボが明確で、登場人物に感情移入しやすく、かつドラマチックというのが、必要条件だと思われます。
(ドラマ化・映画化されるとさらに強力。)

が、この『蹴りたい背中』って、活字が大きく、長さも中篇程度ですから、そういう意味では読みやすいですが、過剰なまでに感覚的な文体や、特にハッキリ見える盛り上がりもなく、淡々と進むストーリー展開(一応、最後にちょっとした変化はありますが)、また常に斜に構えているようなひねくれた主人公などという、つまりどちらかといえば、「敬遠されがち」な要素満載なわけです。

にも拘らず「売れた」。
これはやはり、「芥川賞最年少受賞」ということに加え、作者の綿谷氏が可愛い女の子だったということも大きく影響しているんでしょうね。
ですが、やはり作品自体の魅力が大きかったことも事実だと思います。
私も気が向いたときに、他の著作を読んでみたいと思います。
(でも今はもういいです(笑))


三冊目。
『Wの悲劇 新装版』 夏樹静子著 (光文社文庫)

これも今更シリーズです。
昔から読もう読もうと思い続けて、かれこれ20年くらい経ってしまっている気がしますΣ(゜д゜|||)
光文社文庫から「新装版」という形で再版されたのを機に、読んでみることにしました。

これだけミステリを読んでいるにも拘らず、初・夏樹静子でした。
女性の作品をほとんど読まないというのは、ミステリに関しても当てはまるんですね、当然。
女性で読んでいるミステリ作家って、恩田陸(でも最近は離れつつあります)、加納朋子、小野不由美の各氏くらいです。(もう一人いるんですが、名前を忘れました・・・(;´д⊂))
昔はクリスティとか山村美紗も読んでましたが、高校生のときくらいまでですしねぇ・・・。

さて、この『Wの悲劇』、当然タイトルからお分かりのように、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』を始めとする、ドルリー・レーンものへのオマージュ的な作品でもあるわけですね。

しかし、冒頭部で犯人は明らかになっています。
いわゆる、刑事コロンボなどに見られる「倒叙(倒錯)」式といわれる、読者・視聴者には犯人があらかじめ分かっていて、探偵役が如何に犯人を追い詰めるかという、あのタイプです。
そのあたりが、クイーンとは異なっていますね。
(クイーンは基本的に、犯人当てに主眼が置かれています)

と思いきや、実はこの作品には何重ものトリックが仕掛けられているのです。
その辺りが、刊行当時は非常に斬新だったんじゃないでしょうか。
薬師丸ひろ子主演で、映画化もされているヒット作ですしね。
(ただ、薬師丸ひろ子が演じたのは、多分この役なんだろうな、と分かるのですが、正直イメージではありません・・・。まぁ、当時は角川三人娘とかいって、キャストを誰にするかではなく、主演は薬師丸ひろ子ってまず決まってましたからね(笑))

遺産相続に関する法律がらみの動機なんかも面白くて、昔のミステリではありますが、かなり楽しめました。
ただ、どの登場人物の描写も、掘り下げ具合が同じなので、誰かに感情移入しながら読むというスタンスは取りにくかったです。
逆に言えば、事実を淡々と描写するという客観的な視点に拘った結果なのかもしれませんが。


ということで、今回は珍しく女性作家を中心にご紹介してみました。
これからはあまり食わず嫌いをせずに、女性作家のものももう少し積極的に読んでみようと思います(´Д`;)ヾ
一応私自身が女性ですし・・・・(笑)

2007/06/26 02:16 | Comments(1) | TrackBack() |
読書もしてました
久々に読書ネタです。
最近はゲームに没頭し、休日は私にしては珍しく外出が続いていましたので、ちょこっとペースは落ち気味だったのですが、やはり活字から離れる事は出来ません。

読んだ中で面白かった本や、話題作なんかをご紹介したいと思います。

まず一冊目。
『アルキメデスは手を汚さない』 小峰元著 (講談社文庫)
今ちょっとした話題になっている本です。
もともとは1973年に発行され、つい最近まで廃版になっていた小説です。

再版されたイキサツはと言いますと、今飛ぶ鳥を落とす勢いのベストセラー作家である、東野圭吾氏が、面白くて初めて最後まで読み通した本だ、とコメントしたことに端を発するんですね~。

東野作品をさほど読んではいない私ですが(だって刊行数が多すぎるんだもん・・・)、やはり読んだ作品は「面白いなぁ」と素直に感動してしまいますので、そんな人が読書に目覚めたという一冊なら、是非とも読んでみよう!と手に取ったわけです。

まず正直な感想。
今の時代に、しかもミステリを読み漁っている人間にとっては、さほど魅力的では無いんじゃないか・・・という感じでした。
(少なくとも私にはイマイチでした・・・)

主人公は高校生なのですが、その高校生にしても、何と言うか、「昔の高校生ってこんなに大人びてたの!?」とパンチを食らうような衝撃だけはあったのですが、ハッキリ言って感情移入は出来ませんでした。
まあ、時代もちょうど学生紛争の最中ですから、当時の高校生はそれだけ大人だったのかもしれませんが。
セリフとかがいちいち理屈っぽいんですよね・・・(汗)

また、謎も当然長編小説ですから、幾つか出てくるわけですが、それらの連関性というか、ストーリーとしての繋がりが、やっぱり甘い。
謎の解明も、「そんなのあり!?」って思わされますし・・・・(;´д⊂)
犯罪の動機に至っては、「・・・・・・・・・・・・( ̄。 ̄)y-~~」ってな感じで。

江戸川乱歩賞受賞作なのですが、今現在に至るまで、売り上げ部数では歴代受賞作のトップを記録している作品だそうです。
当時、飛ぶように売れたとのこと。
確かに、昭和の時代ならば、受け入れられた作品なのかもしれません。
ただ、現代の練りに練られたミステリを知っている身にとっては、それほど満足感を得ることは出来ないようなレベルの作品だと思いました。
まあ、ある種の作品にとっては、時代に合わなくなってしまうというのは避けられないことなんだと思います。


二冊目。
コチラもミステリです。
『水の迷宮』 石持浅海著 (光文社文庫)

著者の石持氏は、デビューしてまだ5年ほどの新鋭作家です。
文庫に落ちているのは、本作の他、『月の扉』『アイルランドの薔薇』(すべて光文社文庫)の計3作のみ。
ので、文庫・新書しか読まない私は、当然まだ3作品しか読んでいないのですが。

この方の特徴は、何といっても「悪人が出てこない」という点に尽きるでしょう。
(これ以降の作品では出てきてるかもしれませんが)
悪人でもないのに犯罪に手を染めなくてはならないという、犯罪を犯す側に、抜き差しなら無い事情があるわけですが、その事情というのが、「お金が無い」とか「復讐のため」というような、ありきたりの理由ではないんですね。
端的に言えば「理想のため」「ロマンのため」とでも言いましょうか。

本作『水の迷宮』なんか、悪人が出てこないという、まさに典型的なパターンです。
謎も何というか「美しい」
ロジック(謎解き)として美しいというよりは、謎を存在させている動機そのものが美しいと言う感じです。

『水の迷宮』というくらいなので、舞台は当然水族館なのですが、正直申しまして、最後のある水族館の描写に、涙が出そうになりました。

ただですねー、この石持氏の作品は、登場人物に悪人がいないという点をきっちり理解した上で無いと、素直に楽しめないんですね。
フツーの小説のつもりで読んでると、「こんなに大団円になるはずが無い」「こんなに出来た人間は存在しない」「深みがない」という、批判の嵐に陥ってしまいます。
舞台は現代の通常の世界なのですが、ある種のファンタジーだと思って読まれるのがよいかと思います。

石持氏は、話の展開や謎解きなんかも見事で、非常に力量のある方だと思われますので、そういう悪意の無い世界を描いているのは、確信犯だと思います
ですが、そういうある種の空想世界はちょっと・・・という方は、読まないほうがいいかもしれないです。
逆に、キレイな話を読みたい、という方にはうってつけの作家さんです。


3冊目。
『四字熟語ひとくち話』 岩波書店辞典編集部編 (岩波新書)

その名の通り、四字熟語を説明した本なのですが。
「ひとくち話」と銘打っているだけあって、タダの四字熟語説明本ではありません。
どちらかというと、四字熟語をネタにした、短いエッセイ集のような感じ

170ほどの四字熟語についての文章が、各一ページずつにまとめられています。
どれも語の説明の他、その語にまつわるエピソードや、執筆者自身の思い入れなんかが簡潔に述べられていて、非常に面白く読みやすいです。
複数の執筆者がいらっしゃるのだと思いますが、文体にバラつきがなく、どの方の文章もとても巧くて、「さすが岩波書店!」とヘンに感心させられてしまったりもします(笑)

載っている四字熟語は、3割くらいは聞いたことの無いものでしたし、知っている中でも、咄嗟には出てこないよな~というものもあって、読んでいるだけでも勉強になりました。
ですが、中でも印象に残ったのは「他山之石」

この四字熟語、もちろん「他のいかなるつまらない物事でも、自分の反省・修養の役に立つということ」という意味です。
他の山から出るつまらない石でも、自分の宝石を磨くくらいの役には立つ、というのがそもそもの原義です。
新解さん風に言うと、「アイツの失敗はひどかった。ああならないように是非ともアイツの失敗を他山の石として、心に留めておこう」くらいになるのでしょうか・・・・・(笑)

が、実は岩波書店の看板出版物である『広辞苑』には、この「他山の石」という項目が無いのです!
この新書から本文を引用しますと、「ここだけの話、『他山の石』は『広辞苑』編集部が最も触れたくない成句である」
・・・・そうだったんですか!!Σ(゜д゜|||)

さらに先を読んでいくと、その理由が明らかになります。
「編者の新村出(しんむらいづる)が、初版序文で、『フランスの大辞典リットレないしラルース等の名著・・・を他山の石として』などとやっており、辞典本体の解説は『よその山から出た粗悪な石』『自分より劣っている人の言行』なのだからつじつまの合わせようがない」・・・とのことです(笑)

初版の序文は削除できないとのことなので、毎回広辞苑編集部の方々は、心労を抱えていらっしゃることかと思います・・・(;゜д゜)

引用文から察するに、恐らく初版には「他山の石」が項目としても立てられていたのでしょうが、現在入手できる第5版(最新版)には、「他山の石」は載っておらず、代わりに「他山の石とする」「他山の石以て玉を攻むべし」という、「他山の石」の元の形が掲載されています(笑)
・・・苦肉の策だったんでしょうね(;´д⊂)

でも、新村出さんのようなすごい言語学者さんでも、用語の間違いを犯すことがあるんだ~、とちょっと安心したりして。

2007/06/25 03:35 | Comments(0) | TrackBack() |
祝!復活\(^-^)/
何とPCが直ってしまいました~ッ!!
まことに予想外のことで、心底驚いておりますΣ(゜д゜|||)

ダンナは、最初の三日ほど試行錯誤を繰り返し、その後「真犯人(←故障の原因となった部品のこと)発見ッ!!」発言を二回繰り返したものの、どうやら濡れ衣を着せていたようで、直らないまま一週間以上が経過してしまったのですが、とうとう本日復活です。

どうも最初に購入した部品である基盤が「不良品」だったせいで、迷走を繰り返すハメに陥ったようです。
今日、購入した店に返品に行ったところ、「不良品でした。申し訳ございません」と、店員に謝罪されたとのことです。

しかし、昨日はダンナは
「やっぱりパソコンが一台だけだと壊れたとき不便だよな・・・。ノート買うか
と間違いなく発言したのですが。
私が今日、
「どんなノート買う??」
とウキウキしながら聞いてみると、
「もういらないでしょ?昨日は弱気になっていた・・・

・・・・・・・・・・・・・・Σ(゜д゜|||)

直った瞬間強気になりやがって!!!!(怒)

でも私はメゲずに、ノートパソコンを買おうキャンペーンを展開していきたいと思います。


さて、ブログ更新もままならなかったこの一週間強ですが。
何をしていたかといいますと、ひたすら本を読んでました
(あ、ちゃんと仕事も行ってましたよ(;´д⊂))

何冊読んだかなぁ・・・・
多分十数冊読んでます。
一日に二冊とか読んだりもしてたので。

面白かったものは、また順にご紹介していきたいと思います。
本日は3冊ほど。

まず一冊目。
『日本人の足を速くする』 (新潮新書) 為末大著

私は陸上競技を見るのが大好きなので読んでみました。
さすがに購入時、「う~ん、どうなんだろう・・・」と思わなくは無かったですが(笑)
基本的にタレント本とかの類は好きじゃないので・・・(タレントじゃないですが)。

率直な感想としては、面白かったです。
この本の主張は「日本人の走力を上げれば、スポーツ界全体が活性化され、日本がよくなる!」というもので、体格的に劣る日本人が、如何に勝負するべきかをかなり具体的に提案しています。

文体が「口述筆記じゃないの?」と思うくらいに軽いので、すぐ読めてしまう点で正直物足りなさを感じた部分もあったのですが、「分かりやすく丁寧に伝えよう」という気持ちの見える姿勢に好感が持てました。
(多分、口述筆記ではないと思います・・・(´Д`;)ヾ)

為末選手といえば日本の400mハードルの第一人者ですが、ハードルを専門とするまでには、様々な葛藤があったそうです。
確かに、陸上を始めるに当たって、いきなりハードル競技に進む人もいないですよね、恐らく。
やはり障害物の一切ない、フラットな競技が花形ですしね。

為末選手も例に漏れず、最初は100m・200mの選手でした。
しかも、ジュニアでは日本のトップ。
200mでは、未だに中学日本記録保持者です。

しかし体格的に恵まれていたとはいえなかった為末選手は、短距離フラット競技における自身の限界を認めざるをえませんでした。
その時の苦悩が、世界一のハードリングといわれる技術の獲得、そして「体格的に劣る自分(=日本人)が、速く走るためにはどうすればいいか」という難題への挑戦につながったのだと思います。

為末選手は、テレビの「クイズミリオネア」で1000万を獲得したり、株でもかなり儲けているらしいということで、そういう面でも個人的には気になる選手です(笑)
先日、丸の内で陸上のイベントが開催されたとニュースになっていましたが、あの開催資金はミリオネアの賞金のはずです(;゜д゜)
だって、ミリオネアでそんなこと言ってましたもん。

今年は大阪で世界陸上がありますから、時間が取れれば長居まで応援に行きたいと思っています。

二冊目は
『しゃべれどもしゃべれども』 (新潮文庫) 佐藤多佳子著

この方は『一瞬の風になれ』で、07年度の本屋大賞を受賞されています。
文庫になっていないので、私は未読ですが(;´д⊂)

本屋大賞は、万人受けする小説が受賞する傾向にありますが、やはり本好きが選ぶだけあって、受賞作はどれも素直に面白かったといえるものばかりです。
あくまで私の感じですが、本屋大賞受賞作は、芥川賞・直木賞受賞作より、現在は売れてるんじゃないかなぁ・・?
なんせ、本屋さん自体の売り込み方が違いますからね(笑)

で、『しゃべれどもしゃべれども』ですが。
TOKIOの国文太一主演で映画化されているという点でも話題の一冊です。

二つ目(真打の前)の噺家である今昔亭三つ葉は、問題大有りの4人に落語「まんじゅうこわい」を教える羽目になってしまいます。
ハンサムなのに対人恐怖症でどもってしまうがゆえに、テニスのコーチとして上手くやっていけなくなってしまう従弟。
関西から転校してきて、「言葉がヘンだ」と同級生からいじめられているのに、強がってみせる意地っ張りの小学生。
どうしようもない男との恋愛を引きずって、外界との接触を頑なに拒否する美女。
人気あるプロ野球選手だったが、実は気が小さく、思っていることを全く話せないため、解説者としては全くダメな中年男性。

だれもが「話す」ということに関して、ひいては世界の中に自分をどう置けばよいのかということに関して、大きな問題を抱えています。
しかも、教える三つ葉自身も、威勢のよいことが取り柄だったのに、失恋やら芸風の行き詰まりやらで、袋小路に迷い込んでしまいます。

この小説では、4人の問題は、はっきりいって根本的には解決していません
でも、最初は意志の疎通すらままならなかった彼らが、言葉が口に出せないもどかしさを共有しているからこそ分かり合えたんだ、という心の動きが無理なく表現されていて、「何も解決していないけれど、でも確実に何かが変わっているはず」という軽やかな読後感を与えてくれる小説です。

決して、「言葉が無くても分かり合える」というような、安直な精神論に走った小説ではありません
「しゃべる」ということがどれほど大切で、そしてどれほど難しいかが細やかに表現されていて、面白い上に「巧い」小説だな、と思いました。

落語を知らなくても十分に楽しめますので、是非。オススメです。
(かく言う私が、落語を全く知りません_(._.)_)

最後はまたまた新書で。
『食い逃げされてもバイトは雇うな』 (光文社新書) 山田真哉著

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の著者の第二弾です。
『さおだけ~』は未読ですが・・・。

さて、この本の著者である山田氏は、学生時代5年間ほど、予備校で現代文を教えていたそうです。
いや~、この本を読んで、「その前歴は間違いないッ!」と深くうなずいてしまいました。

というのもこの本、「分かりきっていて誰も書かなかったことを明文化した本」、もしくは「あまりに当たり前で誰も明文化しようと思わなかったことを書いた本」とでも言うしかないものなのですが。

誤解を恐れず敢えて申しますと、「当たり前のことを、いかにもありがたい公式であるかのように、もったいぶって講義する」というのは、予備校講師として(特に現代文の場合)、欠くべからざる姿勢なんですよ。

「逆接の後に筆者の主張がある!」とか、
「具体例は、抽象的な一般論を分かりやすくするためのもの。つまりわざわざ具体例をもってきてまで説明しているところなのだから、そこは筆者の重要な論点だ!」とか、
「何と何とが比較されているのかをさがせ!」とか、

以上はすべて評論文を読むためのポイントの一例ですが、何のことはない、日本語の文章を介する以上、筆者・読者の間で暗黙の了解となっている約束事ばかりです。
単に一般には明文化されていないだけで、文章を普通に読める人は、無意識に行っていることです。

予備校講師は、それに気付いていない受験生を相手に、「取って置きの方法を教えてあげるよ~Ψ(`∇´)Ψすごいでしょ~??」とやってるわけです(笑)
そうしないと、生徒が付いてこないですからね(;゜д゜)
(ちなみに、半ば自虐的な書き方をしておりますのでお気づきかと思いますが、私も、そういう関係の仕事をしております・・・・はは。)

で、ですね。
それを地で行っているんですね、この『食い逃げ~』はΣ(゜д゜|||)

ですので、誰も書かなかったことを本にしたという点では、非常に目の付け所のよい本だと思います。
が、しかし。
高校生や大学生ならともかく、それなりの社会人がこの本を読んで「おぉ~スゲェ!なるほどなるほど」なんて感動してるとしたら・・・?

私はハッキリ言って、その人はちょっとヤバイと思います、今まで社会人としてどうやって過ごしてきたのか!?という意味で・・・。

そしてまさかこんなことはないと思いますが、もしもそれが経営者とかそういう地位に近い人とかだったとしたら、その会社は潰れること間違いありません

ちょっと毒吐き気味ですが(;゜д゜)、正直読んでいても何も目新しいことが無く、合間に載っているクイズっぽい出題もちょっと考えれば分かることだし、何か出版社になめられてるような気がして、読後感があまり良くなかったのでした・・・_| ̄|○

新書にしてまで売る本じゃないような気がします・・・・。
トリビアみたいなネタ本扱いなら、私も納得できたと思うのですが。

気になっている方、読むなとはもちろん申しませんが、買う前に中身をパラパラと見た上で、購入するかどうかを決めてください、ということだけは申し添えておきます。


今までの鬱憤を晴らすかのように、またしても大長編になってしまいました・・・(;゜д゜)
最後までお付き合い頂きありがとうございます_(._.)_

さて、ついさっきIEが強制終了されてしまいました。
ディスプレイもビミョーにぼやけています。
この後電源を落としたら、また起動しなくなるんじゃないかと本気で不安です・・・_| ̄|○


2007/06/02 02:53 | Comments(1) | TrackBack() |

<<前のページ | HOME | 次のページ>>
忍者ブログ[PR]