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2025/03/10 18:48 |
まるでSF
タワレコで面白いCDを発見しました。
特にバッハの演奏で有名な、カナダのピアニスト、グレン・グールドのCDです。

グレン・グールド(1932-1982)
1956年に発売された初アルバムである、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」のレコードで世界的なピアニストとしての地位を確立しました。ちなみに、廃盤→再発が繰り返される(もちろん売れないものは再発されません)クラシックのレコード(CD)において、グールドのこのアルバムは、発売以来一度も廃盤になったことがない稀な作品です。

グールドは決してスタンダードとはいえない奏法でしたので、評価は賛否両論の真っ二つでしたが、現在では、天才、独創性豊か、躍動感に溢れる、といったプラス評価に概ね落ち着いており、彼の演奏は「人類の文化的傑作」として、地球外生物に向けて発信された宇宙船ボイジャーにも乗せられています

しかしその一方で、異端児・変人の面も強く、極端な潔癖症で握手を求められても「Don't  touch me!」と決して交わそうとしなかったり(これはピアニストの中村紘子さんも自身の経験談として、その著書『ピアニストという蛮族がいる』(文春文庫)にお書きになっています)、極端に座面の低い折りたたみ椅子を好み、どこで演奏するときでも必ず持参していたり、真夏でもコートに手袋とハンチングボウを身に着けていたりと、エピソードには事欠かない人物です。

中でも特異なのは、演奏の一回性への疑問や、コンサート中の客席の音すらも理想の音楽を妨げるものとする考え方から、1964年を最後に、一切のコンサート活動から手を引き、没年まで音楽活動はレコーディングやラジオ・テレビなどのメディア上でしか行わなかったという点でしょう。

ちなみに、一度でも聴衆の喝采を味わってしまうと、それは演奏家にとって麻薬のような忘れられない経験となってしまい、舞台を後にしても、必ず結局は舞台に戻ってきてしまうそうです。グールドはそうならなかった唯一の演奏家だそうで、その点でも彼の特異性は際立っています。

さて、グールドを簡単にではありますが、ご紹介させていただきましたので、冒頭でお話しました「面白いCD」に戻りましょう。

「『グレン・グールドによるバッハ:ゴールドベルグ変奏曲』の再創造~ZENPH  RE‐PERFORMANCE」(ソニークラシカル)
このCD、グールドの作品として売られているのですが、何と録音年が2006年なのです!
グールドの没年は1982年なのになぜ!?

実はこれ、ゼンフ・スタジオというアメリカの音楽系のテクノロジー会社が開発した技術による、完全なるグールドの演奏の再現CDなんです。

オリジナルは、先述の56年発売の「ゴールドベルク変奏曲」。
この録音を解析し、演奏とノイズを完全に分離した上、打鍵の強弱やニュアンス(鍵盤を何ミリ押したかとか)、ペダリング、音符の長短、音の大小といった、数値化できる全ての要素をデジタル処理。
このデータをヤマハ製のコンピュータ制御ピアノで演奏したものが、今回発売されたCDというわけです。(今時の自動ピアノはすごいんですね((((゜Д゜;)))))

ま、グールドは必ず歌ったりハミングしたりしながら演奏しているので(バッチリどのCDにも彼の声が一緒に録音されてるので、素人の私でも『これはグールドだ』と分かります(笑))、彼の歌声を恐らくノイズとして分離してしまった(笑)ゼンフ版は、味こそなくなったものの、クリアにピアノ音が聞こえる点で、どちらがいいかは別にして、一度聴いてみて損はないと思います。

さて、驚きはコレだけではありませんでした。
どうも、「ヘッドホンで聴く」という状況に特化した最先端技術によって録音されたCDのようで。(難しい事は良く分かりませんが、バイノーラル録音というらしいです)
タワレコで試聴した瞬間に、あまりのすごい臨場感・迫力に、本当に冗談抜きで背中がスーッと寒くなり、心臓がバクバクいいましたΣ(゜д゜|||)
まさに度肝を抜かれたというか・・・・。音も非常にクリアです。しかも目を閉じると、自分がピアノの前に座っているような感覚で音が聞こえてきます!!

「グールドっていってもコンピュータの演奏なんでしょ~?」と、あまり興味も無かったはずなのに、聴いた後、CD手に取ってました・・・・(⊃д⊂)
そして、もちろん買ってしまいました・・・・
クラシックのCDで3000円って、めっちゃ高いのに・・・・・・_| ̄|○

そして家に着くのも我慢できず、帰りにいそいそと取り出して、自分のCDウォークマンで聴きました。
目指せ「あの感動をもう一度ッ!」です(笑)

最初の一音が始まるまで、本当にドキドキしてました。

が・・・・・・・・・・・
聴こえてきたのは、フツーにクリアなピアノの音でした・・・・・・・・_| ̄|○

タワレコの視聴用ヘッドホンって、あんなにボロくなってるから騙されたけど、実はすごいヘッドホンなんですね(涙)
この音質の落差は、ヘッドホンの性能以外には考えられない・・・。
やっぱり高性能のヘッドホンって、ポータブルタイプでも嵩高いから、私は小さいインナーヘッドホンを愛用してたんですが、 今日買い換えることを決意しました。
音質良くない事は気付いていたんですが、(そして、敢えて見ないフリしてたんですが)、まさかここまでヒドいとはッ(怒)
同じものを聴くと、本当に残酷なほどに違いがよく分かります・・・・。

さて、コンピュータの演奏するグールドのCD。
芸術とは何かという問題について、大きな波紋を呼びそうです。

生身の人間が演奏するから意味があるのか。
それとも、既に他界している演奏家の演奏を、何十年・何百年後でも生音で体験できるという点に価値を置くのか。
また、そうした演奏を、そのオリジナルの演奏家のパフォーマンスとして扱う事が出来るのか。

「客観的には完全なグールドの再演」というこのCD自体の評価も、どうなっていくのか気になるところです。
ちなみに私自身、ゼンフに対する評価姿勢は、全く定まっていません。
でも、生身の人間の生音のほうが好きですけど。ドラマ性がありますしね。
純粋に音楽だけで、音楽を聴くってことは素人には至難の業ですし(笑)←その辺の事は「神童 2」の記事で触れてますので、興味のある方は、是非ご一読下さい_(._.)_

そして、どれほどすごい音質なのか、気になる方はタワレコへGO!(笑)
今ならまだ、試聴コーナーにあるはずです~!!
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2007/04/13 03:09 | Comments(1) | TrackBack() | 音楽
アンタ何様・・・・!?
今月、私の憩いの場である喫茶店スパニョラで、高本一郎さんのリュートリサイタルが開催されます。
今回もすでに満員御礼とのこと。

(リュートって何?という方は、「リュート奏者 高本一郎」のリンクをたどってみてください。リュートの詳しい説明の他、リュートを題材に描かれたたくさんの美しい絵画も掲載されている、素敵なHPです!)

実は、私も一月ほど前にマスターからお誘い頂いたのですが、丁度その日は運悪く、他のコンサートと重なっていました・・・。
でも、すごく行きたい!間近でリュートの演奏を聴くことが出来るんですから!

そして私が取った行動とは・・・・・

私:「日、変えてもらえません・・・?」

マスター:「出来ません」

・・・・・・・・・・・当たり前です。
リュートの第一人者を向こうに回して、何を言ってる私!?

いえ、ダメもとで言わせて頂いただけですってば・・・(笑)
申し訳ない_(._.)_

マスターの計画では、年に二回くらいの開催を考えてる、とのことですので、次回は是非とも参加させてください!


さて、音楽つながりという事で。今日の新聞を見てビックリ。
フェスティバルホール、建て替えですか!!!
もう築約50年だそうです。

東京のサントリーホールが出来るまでは、日本随一のコンサートホールとして名高く、私も何度も足を運んだホールですが、来年の秋で一時閉館されるとのこと。
新ホールは2013年オープン予定という事ですから、大分先ですねぇ・・・。

中ノ島一帯の朝日関係のビルの建て替えに伴う移転だそうです。
フェスティバルホールも朝日新聞系列ですからねぇ。
中ノ島では最大規模の高層ビル群になる予定だとか。

さて肝心のホールですが、現ホールと同等の音響効果維持のために、専門家チームによる研究も行われるとのことですが、ホールの音響の再現って、本当に難しいらしいです。
「音響家」という、ホール専門の音響設計を行う方がいて、どのような残響音や反射音にするかというコンセプトに基づいて、壁のデザイン椅子の材質・高さホール内の木の材質空調など、音に関わるありとあらゆることを調整するのだそうです。
また10分の1サイズのホールの模型を作成して、音響効果の実験をしたり、コンピュータでシミュレーションしたりするそうですが、それでも生の音がどう響くかは実際に鳴らしてみるまで分からないのだとか。

(但し「音響家」という呼称は一般的なものではなく、この職業を表わす呼称はまだ確定していないというのが実際のところのようです)

フェスティバルホールは間口が広く、客席全体が音の波に包み込まれるような陶酔感の味わえるホールです(但し、壁や柱の隣の席は除く(笑))
ホールは年数を経て成熟していく面も大きいそうなので、新ホールも行く行くは、現ホール以上の素晴しいホールになって欲しいものですね。(まだ新ホールの計画が発表されただけなので、気が早すぎますが・・・(゜Д゜))

では、本日も音楽ネタということで、締めに一曲歌ってみていただけますか??
課題曲は「蛍の光」です

はい、どうぞ
♪蛍の光 窓の雪 

そこまで歌った後、すぐに「仰げば尊し」を歌ってみてください!

♪仰げば尊し わが師の恩

・・・・・・・・・・・・・・蛍の光」の旋律で歌ったりしてませんかΣ(゜д゜|||)

え!?そんな事ないって?
誰も見てませんから、引っかかった人は素直に敗北を認めてくださいね(笑)

ちなみに私も引っかかりましたとも・・・えぇ(TдT)

2007/04/03 23:23 | Comments(1) | TrackBack() | 音楽
神童 2

またまたヘンな時間に更新しています・・・・
どうも睡眠障害っぽいのか、夜中に眠れません。
間違いなく体内時計が狂っているのでしょう・・・_| ̄|○

昨日の続きです。
「神童」と呼ばれた、悲劇のヴァイオリニスト渡辺茂夫さんの話題です。

この方は、以前にテレビでも取り上げられたそうなのですが、残念ながら私はそのような放送があったことすら知りませんでした。

世界最高のヴァイオリニストという地位を目前にして、演奏家人生が絶たれてしまったその無念さは如何ばかりのものだったのでしょうか。
精神状態が不安定になった頃には、徹底した日本嫌いの傾向も見えたとのことですから、慣れない異国での生活、敗戦直後という時代状況、そういったものが折り重なって、渡辺茂夫さんはアイデンティティーの喪失を体験してしまったのかもしれません。

ただ、渡辺茂夫さんは、ハッキリしない精神状態の中でも、ヴァイオリンを愛する心はそのままだったようで、生前最後のお写真は、ヴァイオリンを片手に、透き通るような笑みを浮かべて写っていらっしゃいます。
それがまた、見るものに胸を刺すような切なさを感じさせてなりません。

http://www1.parkcity.ne.jp/fls7/lester/data/pixs/sw.htm

上記のページに渡辺茂夫さんの生前最後に撮られた写真が掲載されています。


私が聴いたCDはその名もズバリ「神童」と題されたアルバムで、渡辺茂夫さんの肉声も収められています。(友人には、この肉声のトラック9は飛ばして聞くように言われていたので、演奏者の正体が分かってから、肉声部分を聞きました)。

肉声部分は、「アメリカからのメッセージ」ということなのですが、徹底した日本嫌いの傾向が見えた、という背景を知ってから聞きましたので、英語なまりの拙い日本語が、余計に胸に迫ってきて、またこれが自殺を図る数ヶ月前の録音だという事実と合わさって、涙が止まりませんでした。

この「神童」という2枚組みのCDは、一枚目に小品が収められ、二枚目には協奏曲が収録されています。
中でも一枚目のトラック13「ノクターン嬰ハ短調」(ショパン)は、ピアノ曲をヴァイオリンにアレンジしたもので、非常に珍しいものだと思うのですが(多分、普通のヴァイオリニストはショパンの曲を演奏しないのではないかと思います)、悲哀に満ち満ちていて、とても10代が演奏しているとは思えません。

恐らく、小品(一枚目)のうち前半に収められているものの方が、演奏年代が古いのではないかと思います。後半の方が熟練しているように聴こえます(前回私が述べた、高音の引っかかりなどは、前半の曲に集中しているので。但し私の勝手な憶測です・・・違っていたら申し訳ありません)。

が、逆に言えば、後半の方が自殺を図ったその時により近い録音という事になりますので、鬼気迫るという印象は、やはり後半の方により感じられてしまいます。

なお、このCDの他、3枚組みのものも発売されていたようなのですが、どちらも入手困難品らしく、現在では中古品を探すしか、入手手段はないようです。
ただ、渡辺茂夫さんは、昭和30~40年代にクラシックを聴いていた方には、非常に知られた存在であったそうなので、これから先、再評価・再発掘が進めば、またメジャーレーベルからの再発売などもあるのかもしれません。

さて今回は、何の知識もないまま、単純に音楽を鑑賞するって言う事が、これほど難しい事だとは・・・ということを思い知らされました。
渡辺茂夫さんの生涯を知った上で聞くと、「鬼気迫る」という印象こそ変わらなかったものの、切なさがダイレクトに響いてきて、正直涙が止まりませんでした。
また、特に後半の曲を聴いていると、「あんまり巧くないよね?」という感想を抱いた自分の耳が、本当に信用できないというか、豆腐の角に頭をぶつけて出直して来たい心境です・・・・_| ̄|○

渡辺茂夫さん、本当に失礼な聴き手で申し訳ありません・・・・懺悔します

ただ、自己弁護するわけではありませんが、音楽は演奏されたものだけが全てなのではなく、やはりその背後にある状況や時代背景、奏者や作曲者の人間性など、あらゆる要素が絡まりあって成立するものなのだと思います。
ですから、渡辺茂夫さんという演奏家を知る前と知ってからの私の感想は、やはり大きく違うものですし、それこそが音楽の醍醐味でもあるのだろうと思いました。

ピアニストのホロヴィッツが、晩年最後の来日公演を行ったとき、有名な音楽評論家である吉田秀和氏は、巨匠の演奏を「ひび割れた骨董品」と表現しました。
当時巨匠は79歳。完璧なまでのテクニックで他を圧倒していたそのスタイルゆえに、老齢による衰えは隠しきれるものではなかったのでしょう。ですから、この吉田氏の論評は客観的に見ても、的を射たものだったのだろうと思います。
しかしもし、ホロヴィッツがこの公演の直後に、あるいは公演中に亡くなってしまっていたとしたら、きっとこの演奏は「命を懸けた演奏」として、ひょっとしたら語り継がれるほどの名演になっていたのかもしれません。

音楽(に限る話ではありませんが)は、そういう意味で、本当に聴き手の心に直結するドラマを含んだ芸術なんだな、と改めて感じる次第です。

最後に。下に引用したのは、朝日新聞に掲載された渡辺茂夫さんの訃報です。なお、この記事中で、私は「自殺を図る」という表現を用いていますが、真相は闇の中であり、ご家族は何者かによる謀殺説を信じていらっしゃったという事実を申し添えておきます。

「神童」バイオリニスト 渡辺茂夫さん死去 1999・8・15 朝日新聞 朝刊記事より
七歳でデビュー、神童と絶賛されながら、米国留学中の事故で長く寝たきりとなっていたバイオリニスト、渡辺茂夫(わたなべ・しげお)氏が、十三日午後十時五十七分、急性呼吸不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。五十八歳だった。葬儀・告別式は十六日午前十一時から神奈川県鎌倉市西鎌倉四の七の十一の自宅で。喪主は父季彦(すえひこ)氏。渡辺さんは1948年、七歳で初の演奏会を開き、「天才少年」と脚光を浴びた。来日したバイオリニストのハイフエッツに認められ、55年にニューヨークのジュリアード音学院に留学。最年少で奨学生に選ばれるなど、期待を集めた。しかし57年、睡眠薬を飲み過ぎて意識不明となり、脳に障害が残った。96年には渡辺さんの生涯をたどった伝記、留学前の演奏を集めたCDが発売されるなど、再評価の動きが続いていた。


神童/幻のヴァイオリニスト~渡辺茂夫私が聴いたCDのジャケットです。


2007/03/27 04:20 | Comments(1) | TrackBack() | 音楽
神童 1
先日友人から、「これを聴いてみて」と、二枚のCDを渡されました。
タイトルも曲名も、そしてヴァイオリンだということ以外は演奏者も全く分からないまま、とりあえず聴き始めました。

私が今まで聴いていたヴァイオリンとは全く違う音色で、しっかりと曲は弾けているし、テンポも崩れていないのだけれども、正直、高音部は「キーッ」という引きつれた感じがしましたし、全体的に引っ掛かりが気になったように思いました。また、何だか焦りのような、鬼気迫った感じもして。普通じゃないな、というのが第一印象でした。・・・・「あんまり巧くないよね???」という暴言まで吐いてしまいました((((゜Д゜;))))

音色が全く、本当に私が今まで聴いていたものとは明らかに違っていたんです。
実は、すっごい小さい子供が弾いているのか、と一瞬思わなくも無かったのですが、まさかね・・・と常識が働いてしまい、

この時点で、この奏者は
1.目が見えない
2.耳が聞こえない
3.義手である
という、三択のうちのどれかに該当しているのでは???
などという、まことにとんでもない感想まで抱いてしまっていたのでした・・・_| ̄|○

さらに「普通のクラシック演奏者だよ」と言われた後でも、懲りずに「ジプシーヴァイオリン!?」とか、どこまでも見当違いの感想を述べていた私・・・。
いや、速いテンポをグイグイこなしている感じから、ジプシーヴァイオリンを連想してしまったのです・・・。

二回目以降は、耳にも音色が慣れてきたのか、旋律がはっきりと際立った演奏で、やや攻撃的な感じはそれでも感じられはしたのですが、非常に印象に残る演奏だという感想を持ちました。

さて、この何の前知識もないまま聴かされたCDは、その昔「神童」と言われた渡辺茂夫さんという悲劇のヴァイオリニストの、貴重な録音でした。

私が高音部の音色が気になったのは、現在の主流と比較すると、やや力を強く加える奏法であった事に加え、一つにはこの方の愛用していた楽器がハンガリー製の無銘のものであったことも原因だったかもしれません。
いまや人類の至宝ともいえる、ストラディバリやグァルネリなどの名だたる名器での演奏を聴いてみたかったと思います。
また、録音が(手元にデータがないので何ともいえませんが)恐らく、12~16歳の間のものであるということらしいので、ひょっとしたら、一部フルサイズではない分数楽器によるものも含まれていたのかもしれません。
(ヴァイオリンには、小さい子供でも演奏できるように、二分の一・四分の一などの『分数楽器』といわれる小さい楽器が存在します。当然小さいと音量や音色も、フルサイズより劣ったものになってしまいます)

と、色々言い訳を並べましたが、私の聴く耳が無かったというだけのことですね・・・・。

渡辺茂夫さんは、戦後の混乱期の中に、突如現われたまさしく天才でした。
1941年生まれ、わずか7歳でデビュー。この時に演奏したのはパガニーニとメンデルスゾーンの協奏曲。(メンデルスゾーンの協奏曲は、通称『メンコン』ともいわれる、ヴァイオリニストならば誰もが演奏したいと思うような重要レパートリーで、フィギュアの安藤美姫選手が、今回の世界フィギュアのフリーで用いたのもこの曲です)

養父の季彦さんがヴァイオリニストだったこともあり、かなりのスパルタ教育を施されたようです。その甲斐あって、茂夫さんは「神童」の名をほしいままにします。演奏も、「子供にしては良く弾けている」というレヴェルのものではなく、まさに一人のヴァイオリニストとして完成されたものであったようです。

その証拠として、茂夫少年は20世紀最高のヴァイオリニストである、ヤッシャ・ハイフェッツに見出されます。この時ハイフェッツは茂夫少年を「50年に一人」「100年に一人」の天才と言ったと流布されています。しかし一説には、自己を史上最高のヴァイオリニストと自負し、非常にプライドが高く他人を決してほめる事のなかった人であるゆえ、実際には「25年に一人の天才」という表現だったのではなかったかとも考えられているそうです。

しかし、いずれにしてもハイフェッツは、茂夫少年の演奏をたったワンフレーズ聴いただけで「25年に一人の天才」である事を見抜き、当時世界最高の教授として有名であったガラミアンのもと、ジュリアード音楽院で修練する事を薦めました。
そして、ハイフェッツの強い推薦により、茂夫少年は、ジュリアード音楽院への無試験の入学が認められ、それだけではなく最年少での授業料全額免除のスカラシップまで獲得したのです。
この時茂夫少年は13歳。

もちろん、この時点で、日本人音楽家は何名も欧米への留学を果たしていますが、茂夫少年のように、中学2年という若さで留学を果たした人はいませんでした。
しかも、まだ昭和三十年代です。現在のように誰もが海外へ渡航できるわけでもなく、円の国外持ち出しさえ禁止されていた時代です。それに加え、茂夫少年は満足に英語を理解できる状態ではありませんでした。非常に不自由な制約を課された上での留学は、世界的ヴァイオリニストになるためには避けられないことだったとはいえ、ある意味ギャンブルのような決断だったと思います。

しかし、茂夫少年はアメリカへと旅立ちました。
言葉も満足に分からないまま、たった一人で13歳の少年は異国の地へと降り立ったのです。

東洋から来た、上品な容姿と素晴しいテクニックを持つ少年は、アメリカでも歓喜をもって迎えられました。
誰よりも優れたその演奏は、聴く人のすべてを魅了してやまなかったそうです。

そして、ジュリアードでの勉強が始まりました。
教授のガラミアンは、誰もが世界一と認める名教師でしたが、茂夫少年の奏法には否定的でした。しかし、ガラミアンもまた、茂夫少年の才能は大いに認めるところで、一時期は自宅に茂夫少年をホームステイさせるほどの入れ込みようでした。

しかし、茂夫少年の奏法はすでに13歳にして完成されたもので、自らの演奏法でがっちりと固めさせる事を好むガラミアンとは、相容れなかったようです。ガラミアン自身は奏法の矯正(強制!?)を良かれと思ってしていたのですが、茂夫少年は、奏法を否定される事によって、自分自身をも否定されたような気持ちになってしまったのか、徐々に情緒不安定さが目立ち始めます。

他にも、好奇心旺盛な思春期に、音楽以外の勉強を出来るような環境ではなかった事、満足なコミュニケーションをとることが出来ず、人間関係をうまく築けなかった事、など多くの不幸が重なってしまった事は否定できないでしょう。

1957年11月3日、16歳の渡辺茂夫さんは、大量の睡眠薬を飲んで自殺を図りました
薬を嚥下してから治療が開始されるまでに、7時間ほどの時間がたっていたと見られ、薬の大部分は吸収されてしまった後でした。
茂夫さんが本当に自殺を図ったのか、服用量を間違えた事故だったのか、あるいは未成年には入手不可能な薬物であったことから、彼の才能を妬んだ何者かによる謀殺だったのではないか、など様々な憶測が乱れ飛びましたが、真相は謎のままです。

茂夫さんは、一命を取り留めました。
しかし、薬の作用で高熱の続いた脳組織は破壊されてしまい、ヴァイオリンの演奏はもちろん、日常生活さえままならない身体になってしまったのです。

「天上の音楽」とまで言われ、世界最高のヴァイオリニストという地位さえも、すでに夢ではなかった渡辺茂夫さんの演奏家としての人生は、わずか16年で閉ざされてしまったのです。

【次回に続きます】

2007/03/26 01:18 | Comments(0) | TrackBack() | 音楽
高本一郎さんのコンサートレポート part2

さて、第一部が終了して休憩タイムです。
高本嫁サマ(←ちょっと(!?)天然でカワイイ方です)とちょこっと立ち話。

嫁サマ:「昨日ね、ブログのリンクのこと話したんだけどね・・・。ブログって言葉は覚えててね、で、ブログって知ってる?って聞いたら『当たり前だッ』って言われちゃった・・・」
私:(そりゃそうだ・・・・(;゜ロ゜)。しかも「ブログって言葉」って・・・・・)←心の声
嫁サマ:「でも、リンクが出てこなくてインサイドとか言っちゃった・・・」
私:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・((((゜Д゜;))))」
嫁サマ:「でもそれで分かったみたいで、『聞いてくれるまでもなくOK~!』って言ってたよー」

「インサイド」=「リンク」と瞬時に理解できるなんて、さすがに夫婦!(笑)

その直後、一郎さん(←ここでは嫁サマと分かりやすいように、下のお名前で失礼します)とも何とすれ違いましてッ!
明らかにお忙しそうだったにも拘らず、浮かれた私はつい声をおかけしてしまいました・・・(⊃д⊂)

私:「リンクの件、ありがとうございますー。何か、インサイドって言ってはったみたいですけど・・・」
一郎さん:「あぁ、ほっといて~(笑)リンク全然OKですよー」

嫁サマ、「ほっといて~」とか言われてましたけど・・・(笑)

と、まあそれはさておき(笑)、ご本人にご快諾を頂きましたので、今日から高本一郎さんのサイトにもリンク開通してます!!
ありがとうございます~。皆さんも一度遊びに行ってみてください♪


休憩終了後は、「光と影-イタリア」と題された第二部の開始です。

今度はリュートを二本持ってのご登場です!!
高本さん:「今日使うリュートは、何と弦が19本あるものでして」
会場:「ほぉ~・・・」
高本さん:「合わせて38本、先ほどの休憩時間に調弦していたので、少し遅れてしまいました」

す・・・すみません(⊃д⊂)
長引いてしまったうち、少なくとも20秒(←セコく見積もってみました・・・)お引止めした私のせいです・・・・_| ̄|○

リュートは高本さんのご本職で、出されているCDもリュートによる楽曲が収められたものです。
リュートは、大きなやや長細いカボチャを縦割りにしたような胴体に、太いネックがついている楽器で、ネックの上部三分の一ほどが、直角に折れ曲がっているのが特徴です。
最高音のみ弦が一本で、他は同じ音に二本一組で弦が張られているそうで、常に二本ずつ押さえたり弾いたりして演奏するそうです。

先ほどのヴィウエラちゃんと比較すると、より可憐な響きがします(←あくまで私の主観です;)

まずは二本のうち、どちらかといえば素朴な響きのする方のリュートで、小品5曲が演奏されました。

「ファンタジア」:ミラノ作曲 1536年
「白い花」:作者不詳
「シチリアーナ」:作者不詳
「漁師の歌が聞こえる」:ボローノ作曲 1536年
「ヴェネツィアのパドゥアーナ」:カピローラ作曲 1517年

「ファンタジア」も当時のヒット曲だそうで、今の私たちにとってのJ-POPのような位置づけだったという事なんでしょうかねぇ・・・・。
でもやはり、宮廷のサロンなんかで演奏されていたというだけあって、そこはかとない気品が感じられるのです。
が、高本さん曰く、

「当時は食後の歓談時のBGMのようなものでしたから、こんなに静かに聴いていただける現代の演奏家である事に幸せを感じます

ヒット曲=そのうち廃れる→新しい曲が出来る(以下繰り返し)
つまり想像するに、これらの曲も作られた当時はいわば(言葉は悪いですが)使い捨てみたいな扱いで、あくまでBGM、真剣に聴き入るために作られた音楽ではなかったということのようです。
とはいうものの、こんな曲が次々と作られていたんですから、ある意味、優雅な時代ですよね~・・・

「白い花」「シチリアーナ」は、高本さんのCDにも収録されている曲です。
「シチリアーナ」はCMにも使われていたそうで、今日の演奏曲の中ではもっとも有名なものです。
まさに「どこかで聴いたような懐かしい曲」です。

ちなみに、作曲年代を見て気付かれた方もいらっしゃるかと思いますが、リュートの中心レパートリーは(一部ヴィウエラちゃんも)音楽の父といわれるバッハよりも全然古くて、1200年代~バッハの死後しばらく(1780年辺りまで)の期間に作られたものだそうで。
私たちがイメージするクラシック音楽は、1600年代半ばのヴィヴァルディやバッハ以降のものですし、演奏される曲も当然そういったものばかりですから、必然的にリュートの音楽は耳新しいもの、つまりは聴いた事のないものになってしまうのです。
私も、バロック以前の音楽となると、高本さんの演奏でしか聴いた事がありません。

「漁師・・・」は、漁師が網を引くときに歌っていた歌を基にした曲とのことで、バックに流れる低音が、確かに「ソレ!1,2,3ッ!!」という掛け声みたいです。(日本語で『イチ、ニイ、サン』って言ってるわけはないんですが・・・(⊃д⊂))

「ヴェネツィア・・・」は、コンコンと流れる運河の上を、水を切って進むゴンドラのイメージなんでしょうか。まさに流れるようなメロディが印象的でした。

ここでもう一本のリュートに持ち替えです。
先ほどのリュートと比べると、低音はより響き、高音はより澄んだ、ハッキリした音色のように感じられました。
曲は
「トッカータとヴォルタ」:ミケランジェロ・ガリレイ作曲 1620年

ここで、時代が一気に100年近く新しくなります。バロック初期になるのでしょうか。
作曲者のガリレイは、あの望遠鏡などで有名な、ガリレオ・ガリレイの実弟だそうです。

当時の紳士のたしなみは、
1.リュートが弾けること
2.歌が歌えること
3.詩が書けること
だったそうで、ダ・ヴィンチもリュートの名手だったとか。
ガリレオもリュートを演奏できたと思われるそうで、ガリレイ兄弟も紳士だったんですね!

時代も新しくなると、今までのシンプルな曲調とは異なり、優雅でより気品の感じられる、洗練された音楽になっているのがよく分かります。
また、和音も多いのか、音にも厚みが加わっているようです。

最後の曲は
「ソナタ第9番 ハ短調」:ザンボーニ・ロマーノ作曲 1718年

(自信ないですが、最後のこの曲、一本目のリュートにもう一回持ち替えてらっしゃいましたよね???)

さらに新しくなってバロック全盛時代に突入です!
この頃は、バッハやヘンデルの活躍期と重なっていますね。
ロマーノはリュートのために12曲のソナタを残しているそうです。
貿易商で裕福だった事も関係するのか、優雅な曲調です、との解説でした。

さて、この曲に楽章があるのかは存じませんが、高本さんが休止を入れたところを勝手に楽章の切れ目として感想をば・・・・はは。

この曲もやはり、静かに、周囲の雰囲気にじわじわと溶け込んでいくように始まるのですが、2楽章では歌詞も乗せられるようなキャッチーなメロディラインが現われました。次の3楽章では「哀愁のカサブランカ」という言葉が、頭の中で渦を巻き、4楽章では一転して半音主体のオリエンタル・エキゾチックなメロディで、渦を巻いたクリームの映像が流れるコーヒーのCMにピッタリだ!!と思ってしまいました。

どうも食べ物になぞらえた感想が多いですね・・・。
えぇ、私、実は、最後の二曲あたりは腹の虫との格闘でした・・・・_| ̄|○

そして最後にすばらしいプレゼントが!!
アンコールは何と
ビートルズの「In my life」でした!!

予想を裏切るこの選曲、最後の最後にもまた、新たなリュートの魅力を教えていただきました♪

高本一郎さんのコンサートの素晴しさをお伝えしたつもりが、興奮のあまり、いつもに増して超大巨編になってしまいました・・・・。
最後まで読んでくださった方(いるのかな・・・汗)、本当にお疲れ様です_(._.)_

私の文章は長くて飽き飽きされたかもしれませんが、高本一郎さんの演奏は本当にステキですッ(*'-')
機会があれば、ぜひコンサートに行ってみてください!!


2007/03/08 02:40 | Comments(2) | TrackBack() | 音楽

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